海の底、森の奥

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20160716

人さらいの条件 12
それ以降のカイのようすに、特別の変化は見受けられなかった。
あの、食事をしたあともそうだったが、皆といる中でお互い顔を合わせても、おかしな態度をそれぞれ取ってしまったりすることは、なかった。
確かにほんの少しだけ、カイはよそよそしかったかもしれない。
だがそれも、疲れているんだろうとか、ひとつ年齢を重ねただけあって大人になってきたんだろうとか、そんな風な解釈で見た人間が納得できる範囲のものだった。
ギョンスは至って普通だった。
彼は内心考えていることを、まったくおくびにも出さず振る舞うことのできる、人間だった。
カイがいくら、皆で集まって自分と接近し、背後からそのうなじを見下ろし、小さなため息を漏らしても、ギョンスは顔色ひとつ変えなかった。
心中、どういう思いが渦巻いていたかと言えば。
皆には絶対に隠し通す。
これだけだった。
チェンとのことも。カイとのことも。
自分を含めたこんな関係性を仲間内に知られるなど、まっぴらごめんだった。
ギョンスは自分の感情についてたとえ親しい間柄でもさらけ出すのは、苦手であったし、特に恋愛ごとなどこれっぽっちも分かち合いたくなかった。心の柔らかい部分を、ギョンスは奥の奥に隠して、そっとしておいた。
そして皆が、大事であった。
自分のことで心を痛めたり煩わされたりしてほしくなかった。
また、もちろん、嫌われたくなかった。
男性同士ということも当然話題の要素だが、メンバー内での恋愛などそもそもトラブルの元であるということも、ギョンス自身よく分かっていた。
幾重にも重なった面倒を自分が引き起こすことで、もしも、誰かから嫌悪の目で見られたら。
しかも、チェンを巻き込んで。
カイにすら、そんなことになったらかわいそうだ、とまだ、ギョンスは思った。
なんとしてでも、ばれない。
何もなかったように過ごす。
ギョンスは固い決意を持って、顔は常と変わらず、大きな目の黒く丸い黒目を、きょろりと広い白目の中、動かすだけだった。
チェンとはいつも携帯で連絡を取り合った。
その日、夜、ふたりで過ごす密約を交わし、ギョンスはチェンの部屋に向かった。
部屋に向かう前、携帯の画面の、絵がたくさん載ったカラフルなチェンからのメッセージを眺め、頭の中で多くの疑念や不安が不快な模様を描くのを、ギョンスは感じていた。
今日、カイは仕事だった。少なくとも12時は回るだろう、とマネージャーは言った。
それまでに戻ってこないと。ギョンスはいつもより早くチェンとのことを終えなければならないことが口惜しかった。だが今はそんなことを残念がっている場合ではない。セックスどころか、振る舞いによってはもうふたりきりで過ごすことさえ叶わなくなる。だいたい、今は会わない方がいいのではないかとも思った。けれど、それではチェンが不思議に思うだろうし、おそらくきっと、自分に対して気持ちが冷めたのだろうと早合点して、ひとり苦しむに違いない。そしたら事情を話さなければならない。チェンには言わない。ギョンスは決めていた。行くしかなかった。何より、ギョンスがチェンに、会いたかった。
ノックもせず、いつものように、チェンの部屋のドアを開く。
ベッドに腰掛け、ベッドヘッドに背をもたせ、チェンはファッション誌をめくっていた。
前髪が重く、その額に掛かっている。
吊り上がった目元と口元が、弛緩した。
そのさまに、ギョンスの分厚い唇がふわりと笑みを成す。
鍵を掛け、チェンの元へ足を進める。
チェンは手の中の雑誌をぱたりと閉じる。
ギョンスは壊れやすい何かに乗るように、ベッドに腰掛ける。
ふたりは見つめ合った。
「…ジョンデ」
「うん?」
「…手、握って」
つ、とギョンスは手を差し出す。
チェンはわずかにきょとんとし、だが言われた通りに、出された相手の手を取った。優しく、包むように。
「…肩、貸して」
握り合った手を軸にして、ギョンスはチェンに近寄る。
がっしりとしたその肩に、ギョンスは体を預けた。
手を繋ぎ、ギョンスはチェンの首筋に自分の鼻を擦り付ける。チェンの匂いが、懐かしく鼻腔に届く。
チェンもギョンスの香水の香りを嗅いだ。黒いつやつやとした髪が頬をくすぐるのを受けながら、その芳しさに脳が痺れるようだった。
はあ、と息を、ギョンスが漏らす。
それはチェンの喉を濡らす。
ギョンスは目を閉じた。
やっと、本物になった。
目を閉じる必要はなかった。だが、それでも、ギョンスは瞼を上げなかった。全身をただ、チェンに、委ねたかった。
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