海の底、森の奥

- EXOの二次創作とオリジナルのBL小説を中心としたブログです。R18表現あり。お気軽にどうぞ。

20180420

自分について
こんにちは。
よかったなと思ったことがあったのでございます。
フェリシティ檸檬です。

同居人の人がメールで腕時計がない、と言ってまいりまして、ざっと探したのですがございませんので、ないよと返したところ、泣きそうになって探し回っていると送ってきたのでございます。
それは私がだいぶ前に誕生日に贈りました品で、彼の気に入りで、彼がそれを失くしたらどのような感じになるかをよく私は分かっておりますので、慰めておったのですが、私ももう一度よくよく探してみましたら、クッションの一番下につぶれていたのでございました。

彼はほんとうに喜び、安堵いたしまして、私も心からよかったなと思った午前でございました。

というのは昨日のことでございまして、この後の内容も途中まで昨日書いておりまして、時間がなくなりましたため続きを書きまして本日上げようとしているのでございます。


気持ちや考えを共有できないというのは基本的によくあることでございますが、やはりとても悲しく切ないことでございまして、私は読者様のお友達などともこの話はしたことがあるのでございますが、え、まじで?と思う方がいらっしゃるかもしれないのでございますけれども、非常に共感意識の強い人間でございまして、目にしたり読んだりした方(と言うか生き物すべてでございます)の感情を自分のもののようにものすごく感じられてしまうタイプでございまして、これは父方の性質を多分に受け継いでいるからに他ならないのですが、誰かが辛そうにしているのを見かけると、心底うう、となるのでございます。

昨日読者様でもあるお友達のおひとりからメールをいただき、人と価値観を共有できるということの喜びやその貴重さなどについてしみじみと考え、私の幼馴染みの旦那様のことを思い出したのでございます。

よく正月など、帰省した際に彼女に会うのでございますが、旦那様や娘さんも一緒のことが多く、私も今や夫となった同居人の人を引き連れてわいわいと過ごすのでございますが、こちらに戻ってくる新幹線の中で彼女からメールをもらい、その中で、○○(私のことです)だけが自分の話を理解してくれるから嬉しいって言ってたよ、と旦那様の言が書いてあり、私は大変驚いたのでございます。

きっと私の幼馴染みの、妻である彼女も理解していないということはないと思うのでございますが(きちんと人の話を理解する賢い女性でございますので)、ありがたい話であるなと思う以上に、とても切なくなったのでございます。

彼の言っていることは特段何か変わったことというわけではないと私は感じましたし、彼自身もそう思っていると思うのでして、ですが彼の実感として、言っていることをすんなり受け入れてもらえている感じがいつもしていないということでございまして、私はそういう状況に置かれた際の心境がよく分かることもございまして、そんなふうに考えて生きているのかあの男性は、とひどく淋しい気持ちがしたのでございました。

大変朗らかな人のいい方であるので、ものすごくそれについて悩まれているということではないのですけれども、いっつもにっこにこであるな…と私は彼に会って話しているたび思っていたのでございますが、そういう理由もあったのか、と今後彼に会うときはよくよく話を聞くようにしようと思ったわけでございます。
いえ、いつも聞いているのですけれども、これまで以上にでございますね。


そして、高畑勲監督が亡くなられたということでございまして、私はそのことによっても改めて、友人との価値観の共有について思いを馳せたのでございます。

私はこれについても記事にて書いたことがございますが、宮崎駿監督作品を始めとしたジブリ作品については世間ほどに大絶賛をする姿勢ではないのでございまして、つまり高畑監督に関してもそれは同様でございます。

「火垂るの墓」が追悼で放送されていたようでございますけれども、今後も彼の作品が続々とテレビなどでかかるのではないかと思うのでございますが、ツイッターなどでジブリ関連の感想などを同居人の人が読んでいるのを横で見ていたりいたしますと、毎度のことながらよく、ううむ、となるのでございます。

私は皆様同様、高畑監督にしろ宮崎監督にしろ、大変、ほんとうに才能ある天才アニメーターの方々だと思うのでございますが、作品世界のもろもろがどうしても受け入れがたいことが多く、そのため、これを受け入れるということの意味をよく考えてしまうのでございます。

高畑監督は、少し前におもひでぽろぽろや火垂るの墓を見直しておりまして、その際に思うところがありすぎたので、これについて書こうかなとずっと思っておりましたらば亡くなられたということでございまして、私はその機会がなかったのでございますが、高畑監督の話を直接聞く機会のあった睡魔さんがそれについて語っていたことを思い返したり、他のクリエーターの方がおもひでぽろぽろについて書かれていたことを今また反芻したりしているのでございますが、おそらくこの方は非常に女性に対し意地悪で辛辣な、と同時に独特の愛情を込めた視線を持たれている方だなと思うのでございます。

これは火垂るの墓ならあのおばさん、おもひでぽろぽろならタエ子の家族や友達でございますが、彼女らの描写に端的によく表れているのでございまして、嫌な人たちだな、と彼女たちを見て思われた方も多くいらっしゃると思うのでございます。

もちろん、高畑監督はそういうことを描きたいのでございますから、それは成功しているということでございまして、作家性とはそういうことを言うのでございますが、私はその作家性と相容れないなと見るたび実感するわけでございます。

別に誰も彼もを善人にしろというわけではなく、そうした人たちと主人公がどのように関わっていくのか、彼(彼女)がどういう考えを持ち、どういう生き方をするのか(なんだか最近売れている本のタイトルのようであれですけれども)、そうしたある意味での監督なりの解答が、私にとりまして非常に疑問を感じるということでございます。

おもひでぽろぽろで言うならば、これは確か原作がございますのでその通りの描写なのかもしれないのでございますが、その本をチョイスしているということから監督の考えもある程度は表れているということでございまして、その中で、分数の割り算の話が出てくることがございます。

分数の割り算を言われた通りするっと解くか解かないかということと、人生のあらゆることに疑問を抱くか抱かないかということとを重ね合わせてタエ子が語るのでございます。

私からいたしますと、このように映画の中で女性に人生について語らせるということが、決してセンスのいい、まっとうなことであるとは思えないな、ということでございます。

まず分数の割り算はきちんとした理屈があってああして解くものでございまして、このような決まりなんです、というふうに、根拠も何もない押し付けとして受け入れるようなことではないという点でございます。

学校の先生がそのように教えたということなのかもしれませんけれども、それならばどうしてそうなるのかを先生に聞けばいいのでございます。
その際に先生が教えられないということは基本的にありえないと思いますが万が一ございましたら、それはその教師が教師失格なだけでございまして、それがあったかなかったかは入れられないままに、姉に教えを請うて、こういうものなのよ、と言われてそれが理解できず、なんで?と聞き続けるタエ子に、これまた何故かを説明するスキルのない姉は反論されたことに怒り狂い、あげく家族の女性陣に陰口を叩かれているのをタエ子が聞き、このエピソードは終わるのでございます。

このエピソードのポイントはタエ子が算数があまりできない、その解決方法を自分で考えられず家族も提示できない、結果タエ子がコンプレックスだけを強める、というものでございまして、大人になったタエ子は、自分の今を考え、結婚などを含めたもろもろの現実を他の女性のように受け入れられていないことをその記憶と繋げるのでございますが、まったくこれらは別の問題であるということでございます。

確かに、日本人に顕著とも言える、周りがこうしているのだから私もこうしていたらいいのに、何故かできない、という、特に女性特有の自意識問題というものを扱いたいというのはよく分かるのでございますが、ここから透けて見えますのは、教育というものや理数系の学問への無配慮、問題解決に取り組むということへの根本的な意識の浅さでございまして、それとまたタエ子が自分を他と少し違うようだと、言ってしまえば特別な存在だと感じているということでございます。これは小学五年生のときにとどまらず、綿々と大人になった現在までも続いていることが描かれておりまして、それまでずっとそのままであったのかと私は驚きを禁じえないのでございます。

また、別のエピソードで、タエ子がわがままを言って拗ねたあげく、彼女の行動に怒った父親からタエ子が殴られる、という回想シーンもございます。

これはこの説明だけ読みますと、父親がタエ子のわがままに怒ったように思えますけれども、実際描かれているようすはそのように受け取れるものではございません。

タエ子はこのエピソード中、ずっとエナメルの鞄を欲しがっており、姉同士のやり取りからひねてしまい、父に新しいものを乞い、それが叶わず、結果お出かけする際にいじけて行かないと言っていたのにほんとうに置いて行かれる段になって思わず靴も履かずに外に出てしまい、それで父が彼女の頬を張るのです。

このエピソードを、タエ子は高校生の親戚の娘に話すのですが、それは彼女があるものを欲しがって親にわがままを言っているのを諌める目的からで、結果ほんとうにその子はおねだりをやめると言うのですが、私からすれば、え、それどの点でそう思ったの?という感じでございました。

当然、おねだりをしていたらいいのにということではなく、この話は、父が彼女の頬をほとんど思いっきり平手で殴り、タエ子が大泣きしてその回想が情緒たっぷりな雰囲気を残して終わるのですが、父親は決して、そのわがままに対してだけ怒りを募らせたのではないということが、この不可解さを産んでいるのです。

父はやれやれ、という気持ちでずーっとおり、娘のおねだりなどほとんどどうでもいいという感じをそのエピソード全般で通しております。
確か序盤にタエ子が嫌いななますを父の皿によけて、それを放っている父が生返事をしながら新聞を読んでおり、酒でなくご飯を食べる段階になって、めし、これどうにかしろ、と言って母親にそれを捨てさせるのですが、そこからもう、この父親がどういう人間で男性で父親であるのかというのがものすごくこちらに伝わってまいりまして、父の母であろう祖母が、うちの子はみんなわがままだよ、と訳知り顔に呟いてその食卓シーンは閉じますが、それは、あなたが育てた息子は育てた通りに育っておりますよ、だからみんなわがままですよ、ということなのでございます。

そんな父親が、何故末娘を平手打ちしたかと言えば、それは行儀の悪い行いをしたからでございまして、わがままの行く末としてという側面は相当に低いのでございます。
行儀のなっていない行いをしたことにかっとなって、小学校五年生の娘の胸倉を掴んで殴ったということを聞いて思うのは、この人の父親、やばいな…でございまして、たとえそれが一回こっきりのものであったとしても、私にとってはそれで十分すぎるほどなのでございまして、親戚の娘がそれを聞いてじゃあ私もわがままはやめる、という結論に至ったようすを描いてしまうと、わがままをすると暴力を振るわれてしまうから、という理屈にすらなっており、このエピソードは見ている側にとって、ここから何を学べって?という感じなのでございます。

つまり、この例に挙げたふたつから何を申したいかと言えば、そもそもそのエピソードで描こうとしていることがさまざまな問題をごっちゃにして論点がすり替わっている、ということと、この映画がどうしても家族って、この時代ってこういうものであった、という態を成しており、それも非常に端正で美しい線、すばらしく透明感のある色彩で描かれていることで、そのあり方に対しむしろ疑問を抱いて見ざるを得ない、ということでございます。

エピソードの前者で言えば、算数の分数の割り算ができない、ということと、結婚などを含めた人生を他の女性のように捉えられない、ということを関連させること、後者で言えば度の過ぎたわがままを言ったこと、ということと、行儀の悪さに怒った父親から殴られるということを関連させること、このどちらもが一見筋が通っているようで実はあまり通っておらず、かなり乱暴な問題提起であるということなのでございます。

割り算問題は、こうしなさいと言われたことに対し自分で納得がいかないとそれを受け入れられない頑固さからずっとそれができないままであった、というふうな結論にしかならないのであったなら、その女性の人生は、賢さというものを見失ったままになってしまうということでございます。

割り算ができないままである、ということだけではなく、割り算ができない、ということに対しての自分なりの対応を行っていないということを申し上げたいのでございます。

これは小学生だから、云々という問題ではなく、問題解決の方法というのは子供の頃から少しずつ、大人の力を借りながら習得していかなければならないということでございます。

分数の割り算ができないのなら、それは数学方面の才能に乏しいことの表れで、教師の説明を理解できず納得がいかないのであれば、他の教師に聞くなりなんなりするという対処方法を考えるべきことであり、先生がこういったことをみんな素直に受け入れているけれども、私はそうできないわ、という、まるで周囲の方がおかしいというように受け取る感情の側面での姿勢のみを増長するのは本人のためにならないのでございます。
家族もそれをまるで止めることができないばかりかむしろその傾向を強めるようにしか動いておらず、私は正直ぞっとするのでございます。

わがまま問題は、祖母、両親がそのように子供を育てていることで自然彼女がそうなっているだけのことでございまして、まあありがちなわがままであってものすごく彼女を非難するようなことでもないということが言えるのでございますが、それが、そんな態度を取っているうちににっちもさっちも行かなくなって、結局自分がものすごく痛い目にあった上周りも傷付ける、という結論に落ち着くようには描かれていないのでございます。

強引な論理が押し通され、めちゃくちゃながらも営まれているのが家庭である、ということは確かに現実として言えるのではございますが、このようにノスタルジックな、見ている側が肯定的に受け取ってしまいたくなる気分にさせるような映画として提示されたとき、監督のその冷徹さというものがその霞によってこちら側に伝わりにくくなり、その可愛らしさや美しさ、もしくは一見したときの話の展開の方に意識がいってしまっているというのは、監督の望みとは違うのではないだろうかと思ってしまうのでございます。そこまで汲み取って欲しいと思う手前で意識が途絶えてしまう場合が少なからずあるように想像するのでございます。
そういう意味では非常に高度な映画作りですさまじいものだなと感嘆するのでございますが、どこかしら歪すぎ、しかも含まれているものの中に理屈として強引過ぎるものがあるというのが、率直な感想でございます。

つまりこの映画は、ことにその子供時代は不条理劇なのでございまして、私が挙げましたこのふたつだけでなく、すべてのエピソードは全体的にその様相を呈しており、それを彼ならではのリアリズムと美を追求した絵柄で描いていることで、監督の大変な意地悪さとある種の寛容さを感じ、個性的な作家でらっしゃるなと私は思うのでございます。

ですが私がとても気になり、そして監督の意図がどのようなものであったとしてもどうしてもこの物語を受け入れがたいと感じてしまいます一番大きな点は、既に申し上げた通り、主人公が、私は人と違うところがあるみたいだけれども、それはどうしてなんだろう、という疑問を抱いてから、それに関してまったく掘り下げをせず、思考をそこでストップさせてしまっていることと、その解決の持っていき方でございます。

クライマックスからラストにかけて、それまで以上に恋愛が絡んでくるわけでございますが、ここで提示されているのは、そういう疑問を持っているようなあなただからこそ、僕たちはあなたが好きですよ、というような、男からの甘い肯定ということでございまして、私はこれは非常に安直な結末であるなと思うのでございます。

男からのこうした女性への勘違いを含んだ、それも上からの肯定というのは非常に鼻持ちならないものでございまして、つまりそれは監督自身の姿勢なのでございます。

ほんとうに主人公がしなければならないのは、みずからがどんな人間であるのかという自己分析から逃げず、そして世の中とはどういうものなのかという理性的な判断をすることをやめず、あらゆる問題と取り組み、なるべく解決していこうとすることでございまして、恋愛は、それとはまた別、もしくはその果てに実るものであるということでございます。

どうして私はこうなのかしら…ということの答えは、考えれば分かるものでございます。すべて自分の中にあるものでございますから。
監督が何よりその点を描きたかったのだとしても、私はそこの突き詰めが非常に甘いと思います。
自己分析や癒しというのは、これ程度のものではないというのが個人的な意見です。
女性を侮っていらっしゃるのではないかと思え、私にはそれがとても悲しく感じられます。
男性作家はえてしてそういうところがございますが、そして私はそのためにほぼすべての男性作家を心から受け入れられることがないのでございますが、こんなに才能のある方であってもやはりそうなのだな、ということが、私にとって大変重い問題でございます。

宮崎監督については以前触れたことがございますが、ここでもまた触れようかと思ったのでございますけれどもこれも大変長くなってしまいますので、またの機会にということにいたしたいと思います。

くもりが好きだ、と言い合うエピソードなど、胸キュンするのでございますけれども。


そして、こうした話をし合うのは基本的に私は睡魔さんだけでございまして、私は男からの甘い肯定などより、彼女の辛辣な批判、もしくは心からの共感の方がどれだけありがたいか知れないのでございます。

価値観をある程度共有できるということ、これはほんとうになかなか難しいことでございまして、できたときの喜びというのはまことに計り知れないものであるなということでございました。



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