海の底、森の奥

- EXOの二次創作とオリジナルのBL小説を中心としたブログです。R18表現あり。お気軽にどうぞ。

20190719

昼と夜の間の夢と歌 前編(誕生日&リクエスト企画・パラレル短編・グループミックス)
 風がカーテンを大きな帆のように膨らませ、部屋の生暖かい空気は渦を巻いて動いた。
 汗で額に貼り付きかけた前髪も吹かれ、そこにいる青年ふたりの顔がそれまでよりも晒された。互いが互いを見ていなかったが。
 布のはためく音が弱まる頃、マークはシャープペンシルを握った手の力を緩め、そのままノートの上にそれをやや強く置いた。そして思い切り伸びをすると、椅子の背に体を預けた。
 開け放った窓のサッシに両腕を置き、その上に顔を寝かせたドンヒョクに目をやると、先刻からまったく変化のないその格好で、やはりただ外を眺めているらしかった。カーテンの揺らぎに合わせ、伸びた髪が草原のようにそよいでいる。
 呆れながら眼鏡を直すと、マークは心持ち声を張り、言った。
「腹減ったなあ」
 灯りの点いていない、かなり傾きの度合いの増した太陽のみに照らされた生徒会室の中、その言葉は受け止める者なく淋しげに漂った。
 夕暮れが近付き、刻々と色を変えていく空の方に顔を向けたドンヒョクを再び見ると、マークは不満を滲ませた声で言った。
「聞こえてんだろー」
 んー、という、ぎりぎり返事と言ってもいいかもしれない音が額縁のような窓枠の中のドンヒョクからようやくして、マークは後頭部を両手で掻き混ぜながら話した。
「お前、なんか食べるもん持ってきた?俺今日なんもないからさ、買うか食べに行くかするけど、お前どうする?」
 さっきと同じ、んー、という答えに、マークは嘆息し、前側を上げていた椅子の足を勢いよく着地させ、大仰な音を立てて立ち上がると、青灰色のキャンバスに描かれた、肌の色の濃い、垂れた目の後輩の元に向かった。
「お前ちゃんと話聞けよ。どうすんの、このあと」
 見下ろしたドンヒョクの横顔を、癖のある髪が優しく撫でている。マークは、また少し顔が変わったなと、そんなつもりもなかったのに弟分がかたち作る顔や体のラインをつくづく見つめて考えた。余分な肉が落とされて、頬や顎や腕がひどくシャープになっている。成長したというだけでなく、最近少し痩せたかな、と訝しく思った。
「ドンヒョク、お前、腹減ってないの?まさかダイエットとかしてんのか?」
 つい浮かんだことを口にしていたが、すると相手が反応した。
「んー、腹減んない」
 目をつむり、眉間を寄せると、ドンヒョクは駄々をこねるように肩をすくめた。
「まじで。お前、男子高校生の言うことじゃねえぞ。どんだけ食っても腹減ってんのが俺らだろうが」
「だってほんとに空かないんだもん」
 目を見開いて俯瞰するマークに、大人びた見た目に反し、なおも子供のような口調でドンヒョクは返した。
「どうしたんだよ、具合悪いのか」
 ポケットに手を入れて、マークは多少心配を顔に出し、尋ねた。  
「ううん、違うけど、…でも、そうかも」
「どっちだよ」
 思わず笑うと、目を開けて起き上がったドンヒョクがマークを仰いだ。
「あんまりよく眠れないし」
 眉の下がった、力ない目のドンヒョクの顔との距離が縮まると、確かにその隈は濃いのが分かった。始まりかけた宵闇に染まっているとは言えいつもより青味がかった肌の色も、明らかに彼の言葉を裏付けていた。
 気付かなかった自分に思いのほか失望し、マークは眉頭に向けて力強く傾斜した眉をかすかに平行にして、近くの椅子を引き寄せ背もたれを前にして座った。
 言われてみればこのところ、菓子を頬張る姿をあまり目にしていなかったことが思い浮かんだ。冗談を言い馬鹿笑いすることも、のべつ幕なしあらゆることを喋り倒すことも、おかしな、マークからすれば意味不明ないたずらを仕掛けてくることも、どれもひどく回数が減っていた。進級し、マークが受験勉強に本格的に取り組み始めてからも、以前より頻度が落ちたとは言え、ドンヒョクはこの部屋をたびたび訪れては時間を過ごしていたが、想像していたよりもずっと邪魔をしては来なかった。これは内心意外だったが、ありがたいと思うだけで、特に注意しなかった。そうなるともうだいぶ長いこと、本調子ではなかったのだ、そのことを意識しないほど、自分はドンヒョクのことを気にかけてはいなかったのだとマークは自覚し、密かに、だがその真面目さから深く、己を恥じた。
 高い声をなるたけ低く、落ち着いたものにして、マークは聞いた。
「お前、大丈夫か?悩みでもあるのか?」
 ドンヒョクのすぐ斜め後ろで、前のめりになって背もたれの上に両肘を掛けると、振り向いた彼の窪んだ双眼が、マークを映した。
「誰にも、言わないでほしいんだけど」
 薄墨の混ざった青を背景に、ドンヒョクはマークに体ごと向き直った。この色はとても好きだなと頭の片隅で思いながら、マークは切羽詰まった表情の年下の男の眼差しを、まっすぐに受け止めた。
「言わねえよ」
「ほんとに?」
「うん」
「絶対に?誓ってくれる?」
「うん。誰にも、絶対言わない」
 眉をへの字にしたドンヒョクを見るのは初めてかもしれない、そうマークは思った。それにやたら心が騒ぎ、マークは焦って、「なんだよ」と続きを急かした。
 目を伏せたドンヒョクは、唇を噛んでしばし黙っていた。その間も青は深まり、ただ藍に似た色に染まるだけの日の入りは進んだ。
 俯いたまま、ドンヒョクは声を発した。睫毛が記憶より長く、唇はさくらんぼのようだなと、マークが思ったときだった。
「ド・ギョンス先生って、知ってる?」
 
        


つづく






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20190720

昼と夜の間の夢と歌 中編(誕生日&リクエスト企画・パラレル短編・グループミックス)
 高校に進学するタイミングでカナダから韓国へと一家で引っ越してきたマークは、それまで家族や親戚と話す以外であまり韓国語を口にする機会がなく、英語の方がずっと流暢だった。だから学校生活が不安であったし、実際入学すると言葉の細かなニュアンスが理解できず、かなり苦労した。名前も英語名と韓国名、どちらもで自己紹介をし、マークの方が呼ばれ慣れているのでそう読んでほしいと言ったにも関わらず、誰もが彼を韓国名のイ・ミニョンで呼んだ、それもフルネームにさん付けで。皆帰国子女の彼を、どことなく自分たちとまとう空気の違う彼をどう扱っていいか分からず、なんとなく遠巻きにした。
 そんな状況が変化したのはマークが生徒会役員に立候補する前後のことで、その生来努力家で大変勉強熱心な性格から、学業はもちろん、生きた韓国語にも必死に取り組み、徐々に友人と呼べるクラスメイトを作ると、委員会のメンバーを決める時期、意を決して生徒会の書記の候補に手を挙げた。進学のことを考えてと、生徒会そのものへの興味、そして現在の状況を打破したいという思いからの行動だった。他の候補者がいなかったことも功を奏し、マークは生徒会役員に選出された。そこで会長を始めとした上級生たちに珍しがられ、可愛がられ、やっとマークは「マーク」と人に呼ばれるようになった、生徒会担当の教師からすらも。
 そうして二年に上がる頃、韓国語は韓国の青年が話すそれそのものになり、クラス替えが行われても、マークは一年のときほどには違和感なく、同級生から受け入れられた。だが当然、よく面倒を見てくれた会長を含む三年の役員は卒業し、担当の教師も変わり、それでもマークはまた会に入ったが、淋しさは拭えなかった。年齢関係なく集った集団の中で、気軽に「マーク」と呼んでもらえることはもうないのだろうかと考えた。会長や他のメンバーが入れ替わったことで、会の雰囲気は以前とは違ってしまった。
 だがひとり、趣を異にする役員がいた。ドンヒョクだ。
 役員に決まってから盲腸で入院し、一度も集まりに出られずにいたドンヒョクが初めて会議に出た日のことを、マークは鮮明に覚えている。
 その日、マークと資料のコピーを取りに行くことに決まり、ドンヒョクは宙に浮いているような足取りでマークの元にやって来ると、開口一番、
「マーク先輩ですよね?イ・ドンヒョクです。よろしくお願いしまーす」
と、その不思議な声で朗らかに言った。
 マークは一瞬呆気に取られ、よくよく相手の顔を見た。幼子のような顔立ちにも、泡のたくさん入ったソーダ水のような声音にも、人懐っこい物言いにも気を取られたが、何より「マーク」と呼ばれたことに驚いていた。もう生徒会に彼をそう呼ぶ者はいなかった。
「なんで知ってるんだ?」
 思わずそう聞いていた。受けたドンヒョクは笑顔で、
「あ、うちのクラスに、先輩のクラスに兄弟いるやついるんです。そいつから聞きました。カナダで生まれたんですよね、いいなー、英語話せるんでしょ」
と畳み掛けた。
 常なら社交辞令とでも言おうか、そういったものに類することを言われてもただ空々しい感じしか印象として受けることはないマークだったが、ドンヒョクからは何故かそうではなかった。彼はただ本心を語っているのだと伝わった、そこに何かしらのいやらしいものなど、かけらもないのだと分かった。コピー機までの道中も、コピー中も、部屋に戻る間も、ドンヒョクはよく喋ったが、マークはうるさく思わず、心が弾む何かを終始感じていた。男でも女でもないような独特の声のトーン、よく回る頭と舌、重力などないかのような身のこなし、それらを一身に備えたドンヒョクは、妖精か天使みたいなものに思え、マークはその邂逅を心から楽しんでいた。
 それからマークは、放課後、よくドンヒョクと生徒会室にいた。正反対と言ってもいいふたりだが、馬が合うとはこのことで、共に勉強したり、何か食べたり、あれやこれやと話したりして何時間も過ごしたが、お互いそれがちっとも苦にはならなかった。口達者なドンヒョクは、マークにとって言語、それも面白可笑しく話す韓国語を学ぶ相手でもあった。おかげでクラスメイトを笑わせるということが、マークにもずっと楽にできるようになったものだ。
 マークをマークと呼ぶ人間の数は二年になってだいぶ減った。もう自己紹介で「マークと呼んで」とは言わなかった。自分を他とは違う、仲間ではないと印象付けるだけだと知り、付け足しのように英語名を言い、呼ぶのはどちらでも構わないとだけ告げた。仲良くなればふざけてマークと呼ぶ者もいたが、ミニョンと呼ばれることの方がずっと多かった。
 それは教師も同様で、だいたいが「イ・ミニョン」呼びであったが、例外がいた。
 その例外の教師ことド・ギョンス先生は、英語担当で、この春からの赴任であった。
 マークのクラスの英語も彼が受け持ちになり、若い男性教師に女子が軽く色めき立った。が、ド先生は若くはあるが人に溌剌さよりも沈着さを感じさせる、基本地味な教師であり、瞬間湧き上がった女子の興奮は直に沈静化した。重層的な、通る低い声を持ち、決してそれを張ることはなく、愛想がないのかと思いきや何かのきっかけで四角い黒縁眼鏡越しにすぐ破顔する彼は、暗い色味のシャツやジャケット、パンツに身を包み、その豊かな声で非常に発音のいいアメリカ英語を淀みなく話した。
 そんなド先生は、指されたマークが教科書の例文を軽やかに読むのを耳にすると、黒い瞳を広い白目の中で浮遊させ、英文を繰り出していく生徒を瞬きもせず凝視し、彼が読み終えると一拍置き、言った。
「きみは、英語圏に住んでいた?カナダかな?」
 嬉しそうと言うべきか、眉を上げ、唇の両端を上方に切れ込ませたド先生の顔を見て、マークは少々戸惑った。しかしすぐにはい、と応じた。
 それを受け、ド先生は、
「生まれがカナダ?」
と続けて尋ねた。
「はい、そうです」
「そう」教科書に目を落とし、唇に微笑を乗せたド先生は言った。「美しい発音だね」
 途端純真なマークは真っ赤になった。耳まで染まり、それに更に発熱すると、立っていたマークは小さく「座っていいですか」と教師に求めた。
「ああ、いいよ」
 柔らかな笑顔のままド先生が答えると、マークはなるべく音の出ないよう、静かに椅子に腰を下ろした。まだ強く心臓は鳴り、恥ずかしさから俯いたまま、教科書を覗き込んで時が過ぎるのを待った。
 一年時の英語教師からは、英語に関し褒められたことはあれど、話し方を「美しい」とは言われなかった。それもあのようなようすで。言語に関わらず、マークは生まれて初めて接する方法によって賛辞を受けたことに気付く手前で縮こまってしまっていたが、授業が終わったタイミングでド先生に呼ばれると、どこか高揚しながら慌てて彼の元へと飛んで行った。
 教壇に立ったド先生は、休憩時間のざわめきの中、マークに向かって顔を寄せた。そのとき視線を絡ませたマークは初めて、ド先生の目と唇が人のそれらとはどこか違うことに気付き、経験のない緊張から体が固く強張った。
「きみ、名前、イ・ミニョン以外にもあるんだろ?」
 予想だにしなかったことを問われ、マークは眼鏡がずり落ちた。たっぷり五秒経ってから、はい、あります、とだけ答えた。
「なんて言うの」
「マ、…マーク・リーです」
 尻すぼみに声は消えて行ったが、目と目は逸らされることなく、マークはド先生が少年のように笑うのを見た。
「マークか。きみはずっとその名で呼ばれてたんだろう?」
 自身の目がらんらんと光っていることを、マークは自分で知っていた。胸の中で太鼓を叩くような音がする中、目に映るものすべて逃しはしまいと端の釣り上がったそこの中身を輝かせ、マークは渇いた口で、頷きながらまた「はい」と言った。
「そうか。じゃあ今度からきみをそう呼ぼう。いいかな?」
 まったくまぶたの下がるようすの見えないド先生が優しくそう言うと、マークは皮膚の下の水分が目をめがけて集中してくるのを感じ、今度はさかんにしばたきつつ繰り返し首肯して、
「はい」
と返した。
 頬の赤らんだ、目の潤んだ彼に頷いてド先生が教室を去るのを、しばらくマークは見送ったまま立ち尽くしていた。
 


つづく



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20190721

昼と夜の間の夢と歌 後編(誕生日&リクエスト企画・パラレル短編・グループミックス)
「俺の英語の先生、ド先生なんだけど」
 俺もだよ、と口を挟むことすらどうしてか憚られ、黙ってマークは続きを促した。
 鼻や首に濃い影を作った暗青色のドンヒョクが囁くように語り出した光景は、聞きながらまるで実際見たかのように、マークの頭いっぱいに鮮やかに広がった。
 ドンヒョクは英語がもともと嫌いではなかった。できることなら話せるようになりたいと願っていたし、マークのことが本気で羨ましく、憧れてもいた。
 進級し、ド先生が教えるようになると、それまで以上に英語のことが好きになった。彼の英語は異国のすばらしい音楽のようだとドンヒョクは感じ入った。奥深い声で、リズムが心地よく、何を言っているのかすぐに理解できずとも、そこに吹き込まれた感情がなんとなく読み取れる。
 授業中、片時も自分から目を離さない、真剣なドンヒョクを時折見ては、ド先生は微笑んだ。それを見るたび、ドンヒョクはショックを受けた。羞恥心が頭をもたげ、こんなふうに視線を送るのをやめようと心に決めるが、またあの顔を見たいと我慢ならないほどに欲した。そして結局、常に欲求に屈した。
 ド先生は放送室の管理を任されており、よくそこで目撃された。それを聞いたドンヒョクは、英語に関連した質問を作れるだけ作ると、頻繁に放送室へ通うようになった。
 ド先生は基本、ドアを開けば生徒のノートやテスト、学校業務の書類関係を広げた机に覆い被さっており、狭い室内はまるで彼の小さな城のようになっていた。そこでドンヒョクを迎え入れると、折りたたみ椅子を引っ張り出して座らせ、丁寧に生徒の疑問に答えていった。
 額を寄せ合う間ド先生を盗み見ると、その顔の眉の黒さ、すべての部位の丸さ、白目の白さ、肌のきめ細やかさに圧倒された。分厚い唇から漏れる英文に、耳から溶けていきそうな心地がした。
 あまりに足繁く訪れ、それを嫌がられたら死にたくなると、ドンヒョクは注意深く頃合いを見計らって放送室のドアを叩いた。
 夏休みももう目前というある夕方、今日は行ってもいい日だと、内心幸せではちきれそうになりながらドンヒョクはいつものようにド先生の部屋に向かった。
 ささやかな室内は、音楽で満ちていた。
 振り向いたド先生は穏やかに笑い、「ドアを閉めて」と言った。甘く情感豊かな音色の中、ドンヒョクは後ろ手に扉を閉めた。
 年季の入ったレコードプレーヤーがこの部屋にはあり、満面の笑みでそれを扱いながら、幸福そうに、教師はひとりごちるが如くつぶやいた。
「こんなのがあるなんて、思ってもみなかったよ」
 回転する黒い円盤を一心に見つめるド先生を、その首筋を、なだらかな肩の線を、ドンヒョクは貪るように目に映した。ピアノとドラム、ベースに、女性シンガーの太く有機的な歌声が絡み、いっときドンヒョクは先生と共に異世界に飛んだような錯覚を覚えた。
「これ、先生の?」
 夢を見ているような気分でドンヒョクは聞いた。声が変にかすれていた。
 口の中で笑ってド先生は言った。
「そう。持ってきた」
 まだ向こうを向いている。ドンヒョクは無意識の内に、音の鳴る方へと足を進めていた。
「先生、こういうのが好きなの?」
 喉から体の中のものが全部出て来そうだとドンヒョクは考えていた。メロディが体を覆うが、鼓膜は心拍でより激しく震えている。
「うん。集めてるよ」
 刈り込まれた後頭部がすぐそこにあった。
 踵を返したド先生が、上目でドンヒョクを見返した。
「ドンヒョク」
 自分の名を零したそこを、ドンヒョクはうっとりと眺め、気付くと頬を両手で包み、みずからのそれで塞いでいた。
 すぐさまド先生はドンヒョクを強く押した。開き切った目をして、口元を片方の手の甲で押さえ、椅子の背もたれにもう片方の手を置いたド先生が、何を言うべきか必死に考えているのがドンヒョクに見て取れた。
 ドンヒョクも驚いていた。自分自身に。こんなことをするつもりではまったくなかった。
 今更顔が紅潮し、唇が小刻みに震えていた。あらゆる恐ろしい想像が脳を席巻し、どもって「すみません、ごめんなさい」と何度も言った。
 そのようすを見たド先生は逆に冷静さを取り戻し、ドンヒョクに近寄ろうとした。
 その声で何か言われかけたとき、弾けるようにドンヒョクは駆け出した。部屋を出ても、まだ走った。逃げたのだ。逃げて、逃げて、家に着くまで止まらなかった。
「それが先週のこと」
 もうドンヒョクは目だけに白を残した、闇の色の生き物だった。マークはドンヒョクの口から語られた、それと同時に自身の脳内で展開されたできごとに、完全に参っていた。すべては作り話のはずだと思い込もうとする自分さえいた。
 それでもマークはドンヒョクの力になろうと、気が遠くなりそうなところを持ち前の意思の強さで踏み止まり、なんとか問いを口にした。
「そのあと、先生と話してないのか?」
 唇を突き出したドンヒョクは、拗ねたようにそれに答えた。
「授業で会うけど、俺も先生も目を合わさないようにしてる。先生何も言ってこないし、俺も怖くて会いに行けない」
「どうすんだよ」
「わかんないよ」
 泣き出しそうなドンヒョクが、だが泣くまいとしているのが手に取るようにマークに知れた。どうしたらいいか?そんなこと、マークにだって分からない。分かるはずがあるわけもなかった。
 風はなくなり、窓はただ外界に通ずる大きな四角い穴であり、そこから粒のような光が数個浮かんでいるのが見えた。
 夜が忍んでやって来る。昼と夜が混ざり合う、日々の奇跡の時間が終わる。
「行ってくれば?」
 ドンヒョクのつむじを見つめて、マークは言った。
 憔悴しきった顔のドンヒョクが、顎を上げてマークに相対すると、何?と聞き返した。
「だから、今から行ってくれば?先生のとこ。まだいるだろ」
「やだよ。行けないよ」
 顔をしかめてドンヒョクは拒み、マークは続けた。
「俺もついていってやるから。俺からも謝るよ。話す間は、見えないところで待っててやるし」
 腑抜けた表情を呈し、ドンヒョクは黙った。マークの精悍そのものといった顔が、ドンヒョクを迎えている。マークは頼りになる、ドンヒョクは常にそう思い、今もまた同様だった。
「…ほんとに?」
「うん」
「先生と、話してくれる?」
「うん」
「ずっと、待っててくれる?」
「うん」
 目を泳がすと、ドンヒョクはにわかに立ち上がった。
「分かった。行く」
「うん」
 何かをするとなると、ドンヒョクはあっという間だった。荷物をまとめ、さっさと出て行く彼を追い、マークは急いで勉強道具を掻き集めると、走って部屋を後にした。
 放送室まで来ると、ふたりは押し黙り、目だけで再度ドンヒョクは頼んだ。一度深く息を吸い、吐いて、マークが扉を指で叩くと、中から籠もった声が聞こえた。
 見えないように横に立ったドンヒョクを置いて、マークはドアを開き、中を覗いた。
 煙草の匂いが鼻を突いた。そして、音の波。
 机に向かったド先生が、煙草を指に挟んだまま、ドアの前に立つマークを見上げた。紫煙と音楽に包み込まれた、眼鏡を外した若い青年は、その空気に染み込むような声で、マーク、と呟いた。
 マークは、自分を正しく呼ぶふたりに挟まれながら、そのことの意味を今、はっきりと悟った。
 
 
 
 


おわり
 
 
 
 
 
 
 
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20190802

アンバー・エフェクト 前編(誕生日企画・グループミックス・パラレル短編)
1.色彩の洪水の中のモノクローム


 呑みに行かないか、などと言われたことがあっただろうかと考えながら、アスファルトの焦げた匂いがまだ濃く空気に混じる中、ビルを出て飲食店の間をさまよっていた。
 そういう誘いを持ち掛けるのはいつも決まって俺の方で、そうするとたまに断られたがたいていは承諾され、他のめんつを入れたり、ふたりきりだったり、そのときどきで状況は違ったが、とにかく街に繰り出しいっしょに食事をして帰った。この男が付いてくるのは翌日は休日という夜だけで、俺は開放感に常より酔いしれ、食事を終えると上機嫌で終電目指して駅へ向かった。
 ひとりきりでの食事が何より嫌いな俺は、誰であっても時間と空間を共有できればそれでかなり満足だったし、相手を満足させられる自信も多分にあった。ド・ギョンスだって例外ではない。向こうから誘ってこなくたって別になんとも思わなかった。俺が誘えばいいのだから。
 同じ課で、無口なやつと特段親しい間柄ではなかったけれど、話すとそれなりに相性はいい感触があった。だからふたりだけで飲み食いするのに抵抗は全然なかったし、実際してみると思い描いていた以上に相当愉快だった。気が利くし、他のやつと考え方が少し違ってそれを聞くのが面白かった。ユーモアもあって、ときどき驚くほど笑わせられた。それに眼鏡を外すと割といい男に見えて、モテるだろ、と言うと、顔を丸めた紙みたいにしておそらく苦笑した。そしてそれはお前だろ、と返され、まあなと答えると、そうだろうなと、拭いた眼鏡を掛け直し、真剣に肉を焼きながらひとりごとのように言っていて、また笑った。
 でもだからと言ってやつとばかり仲がいいわけではやはりなく、かなり気に入っている方ではあるが、ずっとただの同僚のひとりだった。この春までは。
 新入社員の教育係を任されたド・ギョンスは、付いた新人とやたら親しげになっていき、それからなんだか俺の心境が変わった。
 最初はどうということもなかったのだが、帰り際これまで通り声を掛けると、以前よりも断りの言葉が返ってくるようになった。と言うよりほとんど首を縦に振らなくなった。
「悪い、ドンヒョクが」
 そう言うのだ。
 普通こんなことに気分を害する俺ではないが、ド・ギョンスが眉頭を心持ち上げてそう返事をしてくると、知らず口の端に力が入った。それを気取られないよう意識して、「分かった、またな」と言うのに毎回なかなか骨が折れた。
 誰であってもあまり相手にされないというのは不愉快なものなのだなと俺は思った。そもそも俺はそういう扱いをされることに慣れていない。忌々しい思いを抱きながらド・ギョンスにまとわりついているイ・ドンヒョクを人知れず睨みつけた。
 イ・ドンヒョクは顔にも声にも締まりのないいたずら小僧のような青年で、髪と肌が一体化しているような、不思議な色をまとっていた。社交的で要領のいいやつは、すぐにあらゆる人間の懐へと入り込み、輪の中心になっていった。当然俺のところへも尻尾を振るふわふわの犬のような態でやって来て、鼻にかかった高い声で軽やかに受け答えした。そのさまに自分と似た匂いを感じないでもない、という気がして、目の前の後輩にも自分自身にも嫌気が差した。
 しかしやつを差別するなどの馬鹿げた行為は当然しなかった。ただ心中落ち着かなかっただけだ。誰に対しても柔軟に対応し親密になるイ・ドンヒョクは、殊にド・ギョンスには教えを請うだけでなく、傍目に分かるほど強く慕って付いて回った。そのようすを周りは微笑ましく眺めているようだったが、俺だけは金輪際笑いなどで唇のかたちを変えたりなどしなかった。こんなに懐の小さい男だったかと自分自身で驚いた。
 だがこのところ、ふたりの対照的だが影響し合える仲のいい先輩後輩という間柄が、少々変化してきたように俺には見受けられていた。困ったように、しかし甘く笑っていたド・ギョンスの顔に、わずかな陰りが覗いていた。抵抗感、とでも言おうか。とうとうそのしつこいほどの構われたがりっぷりにうんざりしたのだろうかと考えたが、そういう匙加減をイ・ドンヒョクは心得ているタイプだろうと判断していた俺は少なからず意外に感じた。イ・ドンヒョクの方も、ド・ギョンスにそんな態度を示されると敏感に察して一瞬動きが止まり、すぐ体を引くと、赤い唇を突き出すようにして黙って俯いていた。透明な膜のような壁が現れ、それが彼らの間に存在していなかった距離を作り出したように俺には見えた。けれども基本的にはマイペースで静かなド・ギョンスと明るくよく喋るイ・ドンヒョクというのは変わらず、ごくごくかすかだが伝わってくるのは彼らの交流から生じるただの匂いや振動のようなものだった。よく気のつく俺だからこそそんなことも見逃さなかったが、おおかたの人間は彼らの関係に何ら変わったところなどないと見て取っていた。
 気まずそうなド・ギョンスを目にするのは自分にとってもどこか苦しいような気持ちになることだと俺はまもなく気付き、たとえその相手がイ・ドンヒョクだとしても、できることなら以前のような朗らかさをやつに取り戻してほしいと願った。そう、ド・ギョンスは物静かで、礼儀正しく、若者らしい活発さが目に見えてあるわけではないが、非常に朗らかなところがあった。そこがとてもいいと俺は思っていたし、それを感じ取る同僚からもひっそりと、だが熱烈に好かれていた。
 だからド・ギョンスから今日誘われたとき、そのことかなとすぐ閃いた。後輩に関する何かしらの相談であろう、きっと、と。
 それでも声を掛けられた驚き自体は大変大きく、しかしそれをひた隠し、トイレ帰りの俺を呼び止めたド・ギョンスにふたつ返事で了承を告げると、顔の筋肉をぴくりともさせず狭い背中を見せて自分の席へと戻って行った。
 初めて俺を誘ってきた。
 そればかりが何故だか頭を占め、定時で終われるよう機械的かつ能率的に仕事を進めた。おかげで俺も、そして幸運なことに向こうも早々に会社から出られ、飲食店街を共に目指した。
 そして今に至るわけだが、これまでとはなんとなく違う雰囲気でふたり揃って歩いていると、思わず視線が泳いでしまい、どこで食べるかや何を話すのかなどの課題や疑問を集中して考えることができず、ただ闇雲にどうする?とか何食べる?とかあやふやなことばかり口走っていた。俺らしくもなく、危うく舌を打ちそうになっていたとき、
「食事はあそこにしよう。昼もやってる定食屋」
ときっぱりド・ギョンスが言った。
「あそこ?あそこで飲むのか?」
 立ち止まることもせず、俺は相手の黒い髪や眉を見、相手は前を向いたまま続けた。
「いや、食べてすぐ他のところに行こう」
「他のとこ?」
「うん」
「決めてあるのか?」
「うん、たまに行くところなんだ」
 その外見から想像するよりもずっと低い、喉の奥底から響いてきて心臓を揺するような印象の声が、夜の闇によく合うなととんちんかんなことを考えていた。それくらいこの会話は俺をますます混乱させた。ド・ギョンスとのやり取りではないようだった。声の色、話す内容、どれも何かおかしかった。
 分かった、とだけやっと応えた。
 俺は目線を道へ落とし、自分の爪先が右、左と交互に視界に入るのを意味もなく眺めていたが、しばらくしてまた隣を盗み見た。
 黒いセルロイドの縁の眼鏡の横から、白目が目玉焼きの白身みたいに浮かび上がっているのが分かった。黄身たる黒目は変わらず進行方向を見据えたままだ。刈り込んだ襟足はワイシャツの釦をいちばん上まで留めてあっても首を洗いざらい放り出させ、その焼けていない皮膚は白目と同じように夜道の中で光って目に映った。
 主に昼休憩に使う定食屋までの道のりは短い。もうあと数分で着くだろう。
 ネオンがとりどりに街を照らし、皆週末前の夜の始まりを全力で喜び、楽しんでいる。
 けれどあらゆるかたちのあらゆる色彩が周りで揺らめくさなか、俺は真横に立つ男の黒い部位と白い部位が強烈に脳裏に焼き付き、胸の中が経験のないふうに音を立てていた。息苦しい、とにかくそう思った。
 今日、初めてド・ギョンスから誘われた。
 連れが目的地の扉を開いたとき、結局またこの文言が脳内で勝手に回転していた。
 
 
 
 続く
 
 
 
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20190803

《修正版》アンバー・エフェクト 中編(誕生日企画・グループミックス・パラレル短編)
2.琥珀色の瑪瑙の部屋のモスコミュール


 こんなところに来たのは初めてで、いたたまれず俺はモスコミュールの入ったグラスを再び握った。すぐなくなってしまうからそうしたくはないというのに、絶望的な気分に浸りながら、しかたなしに口元に運んだ。
 地下に続く店の入り口に立ったとき想像したよりずっと、店内は広かった。そしてとても暗い。奥の方など目を凝らしてもよくは見えない。間接照明とダウンライトのみで照らされた店は琥珀色の瑪瑙の中にいるようで、禁煙どころか分煙もされておらず、煙草の煙でより靄がかって何もかも紗がかかったふうに目に映った。慣れない匂いにむせそうになりながら、なんとか我慢して観葉植物横のふたりがけの目立たないテーブル席に身を縮めて座っていた。一刻も早く地上に出たかった。
 だいたいこんなことをしていては駄目だ。許されないことだ。それは重々分かっている。なのにどうしてもここにいたい。来るかどうかも定かでないのに、確かめずにはいられない。もしほんとうに来たとしたってどうにもできない。だけどそういう問題じゃない。
 同じことを繰り返し繰り返し考えては、結局ただそこにじっとしていた。ゲームでもしようかと思うが、やる気が起きない。テーブルに両肘を付き、腕を重ね合わせると、前屈みになって下を向いた。前髪がカーテンのように視界の端で揺れている。きっと来ない。そうだ、来ないに決まってる。なんでひとり、こんなところでこんなことをしているのだろう。
 ギョンス先輩にここの話を聞いたときまで、時間を巻き戻せたなら。
「ジャズバー?」
「うん」
「そんなとこ行くんですか」
「行くよ」
 クライアント先に提出する書類作成をしていた夜中、缶コーヒーを飲みながら小休憩をしていたら、よく行く店の話になった。休日や夜、いったいどこに出掛けるか?俺は誰とが重要で、どこへはそこまで気にしなかった。だが先輩は、映画館、本屋、ジャズバー、全部ひとりで行く、と答えた。
「ジャズ聴くんですか」
「うん」
「そこ、行ってみたいです」
「聴く?ジャズ」
「聴きません」
「なら退屈だろ」
「経験してみないと」
 そう言うと、先輩は眉をひしゃげ、音を立てずに笑った。俺が話すとよくそうした。
 いいよ、とは言ってくれなかったが、きっとうまく頼めば連れてきてくれただろう。店の名前は覚えていたから、調べたらすぐ知れた。こんなふうに来るつもりなんてこれっぽっちもなかったけれど。
 ギョンス先輩は今まで会った誰とも全然、まったく違って、俺は最初担当が先輩みたいな人だと知ってちょっとがっかりしたものだったが、俺が言った冗談で先輩がくすくす笑ったのを見て突如考えを改めた。すごくおかしそうに、少年のような風情で先輩は笑う。その笑顔に、冷たいわけではないんだな、と安心し、それから冷静に話すことを聞き、することを見ていると、俺は非常に運がよかったとまで思い始めた。先輩は仕事にも人にも、誠実で忠実で丁寧で無駄がなく、自分というものを心得ており、自身だけの論理や方法や速度でことを行ったが、それを押し付けはしなかった。俺にも理不尽なことを言った試しがない。失敗したときには機嫌を損なうどころか自分の教え方を謝られた。今でもやはりこう思う、俺はこの上なくラッキーだと。けれどものすごく不幸でもある。
 そのきつい残業を終え、終電を逃した俺はまだ電車のある先輩の家に泊まらせてもらうことになり、疲弊した脳みそと体で、しかし高揚して深夜の道を歩いた。先輩はマンション住まいで、部屋に入ると想像通りの地味なインテリアが俺を迎えた。
 翌日も仕事で、帰ったら風呂を借りてすぐ寝なければならなかった。疲れも溜まっているし、何もしないまますぐ眠りこけてしまうかもしれないなどと道中案じていたりもしたが、ベッドの前のソファに腰を下ろした俺は、目が冴えに冴えていた。
「先風呂入れよ。掃除はしてある」
 先輩がネクタイを解く音を立てながらそう言っている方を向くことができず、スーツを着た状態でソファに埋まった俺は、「はい」と小さく答え、テーブルの上を見つめていた。テレビのリモコン、エアコンのリモコン、扇風機のリモコン?…これはなんだ。あ、眼鏡。本。考えがとっちらかり、居心地悪さを抱えながら、とりあえず目に入ったものを声に出さずに呟いていた。衣擦れが小部屋にこだまし、俺の体を縮こまらせた。
「ほら、風呂入れって」
 あちこち動く気配のあと、こちらに来る足音がしたのですぐ横に立っていると分かっていた。観念して顔を上げると、眼鏡を外し、灰色のTシャツとスウェットパンツに身を包んだ先輩が、こちらを目を凝らすようにして見下ろしていた。
「どうしたんだよ」
 裸足の足の爪にまで目を走らせ、俺は慌てて顔を背けた。
「風呂ですね」
「そうだよ」
 辛うじて奇妙な笑みを唇に乗せ、わーい、風呂!!と立ち上がってはしゃいで見せたが、先輩は常の如く無反応で、タオルとか出してあるから、と告げて俺が座っていた場所に腰を据えた。
 今度は俺が先輩の短髪を上から見る格好になり、眼鏡を取り上げているようすに目を奪われていると、掛ける直前に上目でこちらに視線を投げられ、
「買い置きの下着、やるから使えよ」
と言われた。
 丸くて黒い瞳が大きな目玉の中でぎょろぎょろ動いているのから目が離せず、言われたことをすぐに飲み込めなかった俺は、数拍置いて「いいですよ、今着てるの着ます」と恐縮して返した。
「いいから着ろよ。もう出したから。寝間着は俺のだと小さいだろうけど、我慢しろ。そっちは新品じゃないけど洗濯済みだ」
 先輩はもう俺を見ていなかった。銀縁の楕円形の眼鏡を掛け、スマートフォンをチェックし出した。
「早く行けよ。さっき場所言っただろ」
 常日頃先輩は襟元をはだけることなどなく、俺は見たことのない彼の肩らへんの肌を目にした。腕のそれも。それは白く、儚いほくろがやたら目立った。突き出た分厚い唇は、上からでも一部が見えた。
 唇を湿すと、染めた髪をした肌の色の濃い俺とは正反対のその容姿に背を向けて、俺は言われた通り脱衣所を目指した。
 その後は入れ替わりに先輩が風呂に入り、渡された歯ブラシだので寝る支度を整えると、明日に備え眠りに就いた。俺はソファに陣取った。
 灯りを消した室内は扇風機の回る音だけが穏やかに鳴り、ソファに横になった俺は、先刻目にした暗い中立っていた陰影だけの先輩の姿を、闇の間に思い浮かべていた。
 先輩の寝息が聞こえ出すと、俺は喉の奥のあたりが締め付けられるような心地がし、寝返りを絶えず打った。そのまま寝たり起きたりをし続け、朝が来ると心からほっとした。
「なんだよその隈」
 開口一番、目を覚まして俺の顔を見た先輩は言った。もう俺はへとへとだった。
 それから俺は変わったのかもしれない。そうなるつもりはないのに、先輩に接するとき、変にぎくしゃくしてしまうようだった。そんな俺を受けて先輩も多少困惑していた。それが続くと、夜、珍しく食事をおごると、先輩に半ば強引に店へと連れ出された。
 俺は嬉しいと同時に怖かった。その恐怖からそれほど飲めない酒をどんどんと干していった。赤らんだ皮膚をした俺を、先輩は本気で心配していた。
「大丈夫か」
 四角い眼鏡の奥、あの夜邂逅した、未知の生物に似た黒目が俺を真近で捉えていた。俺たちは中華料理屋の、衝立で仕切られた回る朱色のテーブルのひとつを囲み、目と目を合わせて押し黙った。酔いと、その他の何かで俺は目が潤んでいった。
 それを見た先輩は、困った表情をして俺の肩を抱くようにし、優しく言った。
「おい、どうしたんだよ」
 密集して生えている眉や睫毛がすぐそこにあった。線の入った唇も。
 俺は少しだけ顔を寄せた。それだけで充分だった。
 触れさせた瞬間に弾かれ、押し返そうと反射で口を開け、咥えようとしていた。次の刹那肩を突かれた。
 椅子を倒し、仁王立ちした先輩がそこにはいた。一瞬で酔いが引き、俺も腰を上げた。
「すみません」
 頭を下げた。
 顔を戻すともう先輩はいなかった。高く鳴る靴音が遠ざかって行くのが聞こえた。
 モスコミュールを飲み干した。
 ドアの鈴が鳴る。もう何度目かの確認で入り口の方に首を伸ばすと、男性ふたり連れ、どちらもスーツ。
 当たった。
 毛という毛が逆立つというのは生まれて初めてのことだった。
 ビョン・ベッキョンが先輩といっしょにいるのを見るのは、いつだって嫌だ。今自分のしている、ストーカーめいた愚かな行為のことを頭の隅に完全に押しやってしまえるくらい、ふたりがここに連れ立って来たことへの感情だけが膨れ上がり、俺は血が沸き立った。
 ふたりが席を決めて腰を落ち着けるのを確かめると、傍を通った店員にまたモスコミュールを頼んだ。
 酔うわけにはいかない。届けられた濡れたグラスを見つめて、自分を抑えるように腕をしっかりと体に回した。グラスの表面はびっしりの汗。俺の掌も同様だった。



続く




 
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20190804

アンバー・エフェクト 後編(誕生日企画・グループミックス・パラレル短編)
3.夏の夜の虫と匂いとモストフェイバリット


 かなり久しぶりの店内を見回し、俺は嘆息しながら最後に目が留まったカウンター上の花瓶の花に視線を投げたまま、その手前に立った店員にビールふたつと告げた。
「サンキュ」
 ビョン・ベッキョンはそう言うと、俺と同じように、しかし違う理由から周囲に視線を走らせた。社交的で明朗快活な男だが、人や物や場所にきちんと気を配るたちなので、ここでどう振る舞えばいちばんいいのか判断しようとしているらしいと見て分かった。俺は自然顔がほころび、届いた細長のグラスをビョン・ベッキョンのそれに当てると、
「悪いな、付き合ってもらって」
と言った。
 小さな目を大きく広げて俺を見ながら、やつはビールを喉に流した。
 息をつくと、削った木の枝のような指を襟に差し込み、ネクタイといっしょに首のあたりを緩めていた。首も細く、覗いた鎖骨がひどく濃い影を作っている。茶とも橙ともつかないこの店の色をまとい、コマ数の少ないフィルムに撮った人物のようにビョン・ベッキョンは変様した。
「俺こそこんなとこ連れてきてもらって悪いなと思ってるよ。あんまり人なんか連れてこないんじゃねえの?」
 長くなった前髪を掻き上げるようにして額を晒し、そう言うと、脚を組んでまたビールを口にした。爪を噛みそうになりながら、俺は答えた。
「そうだな、うん。ひとりで来る」
 笑い皺を作ってビョン・ベッキョンは言う。
「光栄だな」
 こいつの声はざらついた質感を伴い、人の心をかき乱す響きがある。笑いが混じると特にそうなる。初めて会ったときから、ずっとそう思っていた。
「でも、なんで?どうして連れてくる気になったの」
 レコードの音の間に間にその声が弱まったり強まったりしながら聞こえ、俺は知らずやつに寄った。
「うーん」壁に寄りかかっているビョン・ベッキョンの肩近くで俺は答える。「いっしょに来たかったから」
 ひととき沈黙が流れ、展開するシンコペーションが場を支配した。俺もやつも互いを見ていた。すると尖った肩を揺らし、相手は笑った。
「なんだよ、いいな、それ」
 笑って体が振動し、開いた襟首の中身がもっと顕になり、俺は無意識にそこを直した。 
 触れた瞬間ビョン・ベッキョンは体を強張らせ、笑いを止めた。俺はなんてことないふうを装い、
「はだけすぎ」
とだけ言った。
「悪い」
 自分でも直し、気まずそうにしているやつに俺は話した。
「今日は好きなバンドが来る」
 視線を戻したビョン・ベッキョンが好奇心を持って尋ねた。
「そうなの?」
「うん。だから来たかった」
 さっき服を掴んだとき、指の先に肌が当たったことを反芻していた。そして言ったことを自分で噛み締め、隣にこの男がいることを思った。
「じゃあ楽しみだな」
 メニューに目を落とし、喉で転がすようにして言葉をこぼすやつの横で俺は首肯した。
 程なくしてバンドメンバーが登場し、俺たちは熱い拍手で迎えた。
 待ちわびた客たちの熱気に俺も興奮を覚え、もう我慢できず、ビョン・ベッキョンへと頼みを口にした。
「悪い、煙草吸っていいか」
「あ?ああ」
 返事を聞くなりケースを取り出し、火を点けた。その間メンバーは準備を進め、おもむろに音楽は奏でられ出した。
 肺を満たす煙と直に感じる音の波動に俺は恍惚となって目を閉じた。組んだ足の片方が勝手にリズムを刻んで止まらない。薄目を開けて連れを見ると、アルコールも手伝いこれは現実ではないと思えた。ビョン・ベッキョンが口を開け気味に、とろけた目でそこにいる。
 と、やつが俺と目を合わせ、にやっと笑って耳に口を近付けると、告げた。
「すごいな」
 吐かれた息が皮膚をくすぐり、熱くなった体がより火照って俺は数センチの距離にいるビョン・ベッキョンの気の抜けた笑顔に目を向けた。
「そうか」
「うん、すごい」
 プレイへの賛辞の拍手を贈り、吸い終えた煙草を灰皿に押し付けると、お代わりをしたビールに口をつけつつ、体をもっと俺に近寄らせてやつは言った。
「今日さ、なんか話あんのかなと思ってたんだよ」
「話?」
「うん」伏せた目をこんなふうに近くで凝視することがあるのだなと感慨に耽りながら、俺は言葉を待った。「なんか、相談とかかなって」
 勘がいい方だとは思っていたが、そう実際来られると返事に窮した。もう一本煙草を咥えると、ライターを手にして俺は答えた。
「相談なんかないよ」
「そうか?」
「うん」
 赤く染まった先を相手とは逆の側に送って、俺は煙も同様の方向に吐いた。
「ならいいんだけど」
 マイナー曲からスタンダード曲に移り、ドラムの弾けるような音色に俺は体全体が悦びで震えた。
「これ聴いたことある」
「有名だから」
「俺、これ好き」
 改めて真横の顔を見てしまった。やつも俺を見、そのまま言った。
「俺も」
 半分しか開いていないような目で、ビョン・ベッキョンは俺を映した。こうしていたら頭がどうかすると俺の方から目を逸らした。
「これ、歌入りの方がほんとは好きだけど」
「そうなのか?」
「うん、女性ボーカルが入ったやつ」
「へえ」グラスを空けてやつは言う。「聴いてみたいな」
 数曲続けて聴いたあと、トイレ、と告げてビョン・ベッキョンが席を立った。
 帰ってくる頃合いを見計らい、俺も手洗いに立つと、暗がりの中鏡の前にやつはおり、俺をぼんやり見返した。
「よお」
 そんなふうに呼び掛けられ、しばたいていると、
「酔ったわ」
と笑われた。
「平気か」
「うん」
 と言いながら目を閉じるビョン・ベッキョンの傍に行くと、揺らぐ体の腕を取った。
「転ぶなよ」
「だいじょーぶ」
 思ったより細い二の腕に力を込めていると、顔と顔がかち合った。
 まずいと思った。
 鏡に映る俺が視界の外れにいる。そいつが俺に言う、やめろと。引き返せ。
「ギョンス」
 そのかすれた声で俺の名前をかたち作り、その潤んだつぶらな黒目で俺を指す。
「元気出せよ」
 脳の中の芯みたいなものが、そのとき溶けた。
 ビョン・ベッキョンを壁に押し付け、唇に唇を被せた。む、という音が相手から漏れ、そこで俺は口を開けた。俺の腕に手が乗ったが、拒否するような力はそこから伝わらない。
 もう躊躇する理性がなく、俺は舌を中に入れた。
 絡め取るとふん、ふんと鼻から息を抜くようすが感じられ、俺は腰から下がしびれた。
「先輩」
 かすかな叫びのような声が俺の鼓膜を跳ねさせた。耳慣れた声、なのに聞き慣れない響き。
 振り向くと、ドンヒョクが俺たちを見て肩を怒らせ、小刻みに震えていた。
 頭の働かない俺は、何故ドンヒョクがここにいるのかなどには考えが及ばず、見られた現場の内容と、それに対するこの後輩の心境を思い、ビョン・ベッキョンから離れて体の向きを変えた。
「ドンヒョク」
「先輩」
 みるみるうちにその目を涙でいっぱいにして、ドンヒョクは泣いた。哀れさで胸が痛み、なんと言っていいのか逡巡していると、
「ドンヒョク」
と後ろから声がした。
 横をすり抜け、ビョン・ベッキョンが腕で目を隠したドンヒョクの背中に手を置いた。そして優しく、
「行こう、ほら」
と促した。
 半ば無理矢理方向を転換させ、ふたりは店の方に戻り、俺も急いで用を足し、後に続いた。
 皆で店を出、ビョン・ベッキョンがドンヒョクを熱い茶を飲ませながら道々説き伏せ、真っ赤な顔で黙りこくった彼を帰りの電車に乗せるため駅まで送った。ドンヒョクはひとことも声を発さなかったが、扉が閉まる頃にはだいぶ落ち着いているようだった。電車が去ると俺はひとまず安堵した。
 ホームに並んで立った俺たちは、呆然とした態で双方を見合った。
 ようやく俺は口を開いた。
「平気かな、あいつ」
「うーん、とにかくまた次会ったとき、ちゃんと話をしなきゃだな」
「悪い、ほんとに助かった」
「いいって」
 こんがらがった状況で、頭が混乱の極みだったが、しばらくしてビョン・ベッキョンが前を向いた俺の横顔を眺めているのに気が付いた。
「お前」
 片側の口角を上げてやつは言った。
「キスしたな」
 驚いて目を見開いた俺は、少し間を開けて、半ばやけで、
「したよ」
と返した。
 ティンパニーのような笑い声を立ててビョン・ベッキョンは言った。
「開き直ったな」
 笑いの意味を図りかね、俺はただやつを見返していた。
 徐々に真顔に戻ると、つぶやくように、しかしくっきりと聞いてきた。
「俺にキス、したいの」
 その聞き方に瞬きも忘れ、聞かれるままに返答した。
「したい」
「そう」
 虫が鳴いている。夏の夜の匂いが充満し、むせ返ってしまいそうだ。
「さっき」また目を伏せたビョン・ベッキョンが、微笑を覗かせ、続けた。「俺もしたかった」
 緑の濃くなる匂いも、日に晒されものが皆焼けた匂いも、全然嫌じゃない。
 虫たちの合唱を聴きながら、俺たちは俺たちだけを見、入っては出ていく電車を前に、世界でふたりだけになった。
 
 
 
おわり





 


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20191225

実を啄む(クリスマス企画/パラレル・グループミックス短編/EXO・NCT127)

 この時間まで残るのはやはりきついなと考えながら正面玄関から足を踏み出すと、職員用玄関の方で静かに動くふたつの影が目の隅をかすめた。スニーカーが砂利の上で夜に対し張り切って音を立てようとするのをマークはそっとやめさせた。シルエットを描くふたりが誰であるか、直感的に思い当たったためだった。
 学校から公道に出るまでの広く暗い砂利道の端を影は寄り添って歩いていく。両側に建てられた灯りは数が少なく、彼らをまぼろしのようにしばらく浮かび上がらせては消した。視力の悪いマークだったが、だんだん目が慣れてくるとそうだろうと踏んだ人物たちであることが後ろから距離を置いて付いて歩きながら学校の敷地を出るまでに確かめられた。
 一般道に来ると街灯が照らし、ド先生と、連れ立って歩くビョン先生の後ろ姿がマークの眼前に現れた。淡黄色の光を浴び、闇の中でそこだけ切り取られたような空間を行く青年ふたりは、マークのことにまったく気づくようすもなく、時折笑い声を立てながら、しかし基本的には小声で会話を交わしていた。
 マークは鼓動が速まるのを感じていた。唇をマフラーで覆い、眼鏡を曇らせ、鼻の頭を染めた彼は、足音に神経を集中させるのを忘れないように努めつつ、ふたりから決して目を離さなかった。
 ビョン先生を見るのは久しぶりのように思えた。二年のとき数学を受け持ってもらっており――マークは彼をとても好ましく感じていた。大変明るいたちの教師で、大きな口で大きな声を発し、よく笑った。しょっちゅうふざけて、生徒をからかい、教えること以上に笑わせることが好きなように見受けられるほどだった。と言って大雑把かと言えばそんなことはなく、生徒を非常によく見ていた。具合が悪いとか身が入っていないとか、努力はしているが実っていないとか。叱るときは厳しく、慰めるときは親身だった。授業自体無駄がなく分かりやすく、特段ハンサムというわけではないが、愛嬌のある癖のない顔立ちをしていて、その上すっきりとした体型と美しい手指を持っていることが合わさり、生徒から、特に女生徒から驚くほど人気があった。だがこういったことに敏くないマークはほとんどを友人から聞いてあとから気付いた――彼がビョン先生について長い間抱いていた印象は、教えるのがうまい、温かい人柄のとてもいい教師というだけのものだった。ビョン・ベッキョンはモテるよな、と同級生が話していても、なんとなく理解はできるがぴんと来ず、女子がイベントごとの際、彼に対し騒いでいるのを目を見開いて見つめたことなどをマークは皮膚を氷のようにしながら思い返した。
 進級して担当が変わったあと、再び彼の名を耳にしたのはドンヒョクの口からだった。
「あいつ、ド先生と仲いい」
 小さな木の実のような唇を突き出してドンヒョクは言った。三白眼気味の目を顰め、例によって生徒会室のマークの傍らで仏頂面を晒していた。謝罪に行ったのち、諦めると言いつつなかなかそうできていないのが現状だった。
「あいつってなあ」
 論点のずれなど気にせずマークがなだめようとするのを無視し、ドンヒョクは言ったものだ。
「あいつ絶対ド先生のこと好きだ」
 何故そうも確信を持って言えるのかマークには分からなかった。が、ドンヒョクは間違いないと思い込んでおり、この後輩は驚くほど勘のいいところがあるということを知っているマークは、ビョン先生をド先生と結びつけて考えずにはいられなくなった。それから、見かけた際はそれとなくビョン先生を観察するようにした。そのように気を付けて過ごすようになったあと、ド先生といっしょにいるところを見たことは一度もない。ド先生のことはそうしようと意識せずともマークはよく目で追っていた。放送室で用向きを話したときの彼の表情がマークの瞼の裏に焼き付くようにまだあった。寂しげな、見たことのない顔をしたド先生を目にし、マークは経験のないふうに胸が強く縮んだ。そして喉の奥深くで震える低音で、「ありがとう、マーク」と言われた瞬間、マークは周囲が回転していくような錯覚に襲われた。ドンヒョクが話している間、ふらつきながらも脳みその中のあらゆる事柄をまとめようと腕組みをして考え込んだ。しかしすべてが曖昧模糊としていて、はっきりこうと結論付けられるものではなかった。以来ずっとこの問題は受験と共にマークの頭を占め続けていた。
 ド先生とビョン先生の並んだ姿を見つめながら、マークは自分自身の胸の痛みが己を襲うかと身構えたが、それほどではないことを知って少し虚を突かれていた。それよりもドンヒョクのことが気になった――このことをもし知ったら。どこまで付いていこうかと逡巡しているうちに、もう追う相手は駅に入ってしまっていた。ドンヒョクドンヒョクドンヒョク。思わずつぶやきそうになりながらずっと彼らをマークは追った。半分やけくそになりながら、犯罪にはならないだろうかと不安を覚える心を制し、身を隠すようにして同じ電車に駆け込んだ。
 数駅先でふたりは連れ立って降りた。続いてマークも降車すると、出口に消えそうになる後ろ姿に懸命に付いていった。住宅街、音が何もかも反響してしまいそうな夜更け、マークは首を埋めるようにして一切の音を殺し、一定の距離を保ったまま付け続けた。
 そしてあるマンションの前に来ると、教師たちは中へと歩を進めた。マークもその建物前で足を止めて植木に隠れ、エントランスで鍵を出そうとしているド先生と横に立つビョン先生をなんとか見守った。手に持ったキーホルダーの一部分がてのひらから滑った刹那、ビョン先生がド先生の首に腕を回し、抱え込むようにして自分を向かせ、そのまま彼の唇にみずからのそれを押し付けた。マークは目を丸く開け、強く息を吸い込んだ。冷気が体内を鋭く通る。黒い短髪の後ろ頭から首筋を、ビョン先生の細長い指が這うように押さえている。そのとき初めて、マークは皆が言う意味が分かった。その指――まるでピアノでも弾いているかのようなのだ。音楽が奏でられているような最中、ド先生は手を相手の腕の上に置いていた。拒否するでもなく、軽く掴むように。眼鏡の背後の目は薄く開いたままのようにマークには見えた。少しして一度離れたかと思ったら、よりピンク色にうごめくものが目に付き、それが消えると再びふたつは触れ合っていた。今度はド先生はビョン先生の肘をしっかり掴んでいた。鍵が落ちる。その音がマークのところまで届いた。
 それでふたりはキスをやめた。笑っているビョン先生。慣れ親しんだあのふやけたような笑顔。苦笑したド先生が鍵を拾い、エントランスホールのドアを解錠すると、彼らは奥に消えた。
 立ち尽くしていたマークは我に返って後ずさると、足早にそこを去った。今にも走り出しそうなスピードで通ってきた道を戻った。息を切らしかけながら駅に着くと、ホームに降り立ち、震えているスマートフォンを手に取った。
「あ、先輩?」
 ドンヒョク。
 早鐘を打っている心臓がより一層大きく跳ねた。
「今どこ?俺まだ帰ってなくてさ」
「今?今ーは…」
「ねえこれから飯食べない?」
 そう言ってドンヒョクは自分の居場所を伝えた。マークと彼の家の最寄り駅前をぶらついていたとのことで、混乱しながらもマークは承諾した。
「分かったー待ってるから」
 ちょうど電車が到着し、乗り込むと、数分先にはもう会っているだろう後輩に、どう切り出したものかとマークは呆然と考えた。
 本屋の軒先で雑誌を立ち読みしているドンヒョクが視界に入ると、マークは喉がつかえて声を掛けられず、ただゆっくりと彼に向かって歩いていった。
「先輩」
 横にふらりと立った男に体をびくつかせてドンヒョクは言った。
「どしたの先輩、変だよ」
 客が横から現れ品を取ろうとし、ドンヒョクはマークの手を取りそこを離れ、駅前の広場の暗がりの方へと引っ張っていった。
「何、どしたの先輩」
 真っ青な顔をしたマークをドンヒョクは不思議そうな目で眺め、具合悪いの、と尋ねた。
 首を横に細かく振り、マークはなおも黙っていた。手袋をしたその手をドンヒョクは取ったまま、ぎゅっと握って振った。
「じゃあ何?なんかあったの?」
 眉根を寄せ、しかしまだ半笑いでドンヒョクはマークを見つめた。マークは視線を合わさず、少しうつむき加減で口元をマフラーで隠すようにしている。無表情とも言える顔つきで、もくもくと白い息を登らせていた。と、目を上げまともにドンヒョクを見た。
 そのまっすぐな眼差しを受け、ドンヒョクは微笑の混ざった唇を閉じ、引き結ぶと、じっとマークを見返した。
「先輩」
 何かを言いかけたドンヒョクの唇の動きを、マークはスローモーションで見た。木に鈴なりになっている、よく熟した小粒の果実のようなそれから目線を上げ、顔全体を視界に収めると、痩せたままの頬を両側から毛糸の手袋をはめた手で挟み込み、勢いよくそこに近付いた。
 眼鏡がかすかにドンヒョクの鼻を引っ掻いた。その下の唇に、マークは自分のそれを触れさせていた。カナダにいたときにはキスの習慣はまだあった。が、もう随分久しぶりのそれだった。それも唇同士は初めて、つまりファーストキスだった。しかしそんなことはこのときマークの頭にまったくもって浮かんではいなかった。とにかく彼の脳内は洗濯機の中の洗濯物の如くごちゃごちゃと回り続け、ただ真ん中の空洞に、長らく格闘していた課題の答えが光ってあるように思え、柔らかな唇の上の押し返しがそれをオーロラのように包み込んでいた。
 わずか数秒のことだった。ドンヒョクは驚きのあまり硬直し、何もせず突っ立っていた。痛みを我慢するかのように目をぎゅっとつむっているマークとは対象的に、そのさまをドンヒョクは余すところなくすべて見ていた。
 おもむろに体を引くと、マークは目を開き、真剣な顔でドンヒョクに謝った。
「ごめん」
「…な…にしてんの」
「うん、ごめん」
 虚脱状態になったドンヒョクは広い白目の中で黒目をらんらんとさせ、闇の中でも異様に輝かせて見せていた。マークは怯むことなく真正面からそれを受け止めた。そして強い口調で言った。まるで怒っているかのように。
「忘れろ」
「へ?」
「先生のこと、もう忘れろよ」
 今度はマークがドンヒョクの両手を取り、握った。
 瞳を揺らがせてドンヒョクは黙った。青かったマークの顔が内から赤く光っている。
「な」
 もわりとその口から煙のように息が漏れると、それを見ていたドンヒョクは自分でも知らぬうちに「うん」と答えていた。
 そしてふたりして下を向いた。両手を繋いだ格好で。行き交う人々の目の届かないぎりぎりの暗闇で、大人になりかけの彼らは向き合ったまま押し黙った。しばらくただそうしていた。
「…腹減ったな」
 マークがぽつりと零した。ほんとうに腹が鳴っていた。笑いもせずドンヒョクは、そうだね、と応じた。
「よし、なんか食いに行こう」
 明後日を見ながらマークは体の向きを変えた。片手でドンヒョクを引いている。
「クリスマスなんだから、贅沢しようぜ」
 その言葉でドンヒョクはマークの顔に目をやった。冷気の中、シャンシャンという音と共に耳慣れた音楽が繰り返し鳴っている。にわかに体中が火照った。
 鮮やかに色づいた若者ふたりは、行きつけのファミレスを目指し、そっと手を離すと妙に力強くずんずんと街を行った。
 
 
 
おわり




 
 
 
 
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  • ミス・レモン
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