海の底、森の奥

- EXOの二次創作とオリジナルのBL小説を中心としたブログです。R18表現あり。お気軽にどうぞ。

20170515

罠(東方神起・パラレル短編)
訪れるのは必ず夜、それも、人の減る、閉店ぎりぎりと言っていい時間帯にしていた。
駅前の、蛍光色があたりにばらばらと落とされたように光る一帯、林立するビルの最上階のスポーツジムの自動ドアを、チャンミンは通った。
イヤホンを耳に入れていた。必ず音楽は携帯する。家を出るとき忘れたら引き返すほどである。移動中もしもなければ、いらいらしながらガムを噛んではすぐ出し、また新しいものを口に放り込む、を繰り返してしまうのが癖だった。
先日購入した、値の張る、音の出る小さな玉ふたつは、想像以上に音がよく、チャンミンは珍しく買い物で非常に深い満足を得ていた。唇の両端が心持ち上がる。受付に会員カードを差し出すとき、アデルのビブラートが、チャンミンのいちばん好きな振れ幅で喉を震わせている振動で、彼の耳の中に流れ込んだためだった。
 メロディに合わせ、軽くみずからも口ずさみながらチャンミンはロッカールームに向かった。スーツからさっさと動きやすい身軽な服装へと着替え、マシンの待つ部屋へと足を進める。
かっきり三十分間、鏡に対峙してトレーニングを毎回、行った。トレーナーは、まばらになった人々の間、あちこちに散らばってはいたが、この夜の遅い時刻に部屋にいるようなメンバーは常連で、ほとんど対応する必要のない者たちばかりだった。それでも、話好きの会員ならばやり取りはしていた。その楽しげな声色や、大きな笑い声はガラス越しに通ってくる闇の中で、音楽がかかっているのも構わずやたらと響き渡った。
高性能のイヤホンをしたチャンミンにも、特徴的な笑い声がやはり聴こえた。
 髪の毛は水を被ったようにびしょ濡れになって張り付き、開いた口の下、顎から、絶えず水滴が玉となって滴り落ちた。Tシャツは若干透け、筋肉のかたちがはっきりと見て取れる。
あはははは、また、閉じた目のまま、チャンミンは少ししゃがれた、喉の奥で引っかかったような笑いの音を耳にした。
まぶたを上げる。壁掛け時計はチャンミンにトレーニング終了を告げている。黒目は更に動いて声の主を探した。
腕を組んだ、浅黒い肌の男が五十代ほどの会員と談笑していた。会員はストレッチをしている。ランニング後の、体をほぐしながらの会話のようだとチャンミンは判断した。
マシンから立ち上がり、まっすぐ己を見返す自分を見つめながら、タオルで額や頬を拭った。荒い呼吸で、口はまだうまく閉じない。眉頭が困ったようにわずかに上を向いている。
お疲れさまでした、という声かけに、他の従業員も追いかけてお疲れさまでした、と口を開く。振り返ると、例の会員はシャワールームの方へ消えていった。
また、鏡を向いた。すると自分の背後に、影のようになって近付いてくる誰かがいるのが目に入り、肩がぴしりと強張った。
「シムさん」
 ひょこりと、顔を覗き込むようにしてチョンはチャンミンと目を合わせた。
「もう三十分経ちましたか」
 笑顔を作りながらチョンが話し出すと、並んだその歯が白さをチャンミンに強調した。
 タオルで顔を隠すように拭き、そうしながら片耳だけイヤホンを外し、くぐもった声で答えた。
「はい」
「そうですか、あっという間だな」
「そうですね」
 もうチャンミンは、自分たちを映し返す光る鏡面に目をやらなかった。
「じゃあ、僕、シャワー浴びるんで」
「あ」
 素早い足取りでチャンミンは持ち物を引っつかみ、細長く続いていく通路へと歩いていった。チョンがお疲れさまでした、という言葉を掛けない、そしてエコーのようにそれに続くお疲れさまもない、ということが、チャンミンには何故か重くのしかかっていた。

背の高い彼でも上向けるシャワーヘッドの取り付けられた個室のひとつに、チャンミンは入り、まぶたの表面に水のつぶてを受けていた。色白とは決して言えない南国の青年のようなすべらかな肌は、まだまだよく水分を弾いた。この瞬間が好きで通っているのかもしれないと、毛穴という毛穴に湯を通すように浴びながら、チャンミンはよく思った。
そしてそう思いながら、同時にチョンのことがその都度、頭に浮かんだ。
嫌ならば来なければいいのだ、ジムなんかいくらでもある、運動したあと浴びるシャワーなど、どこでも同じだ。
そう、自分に言い聞かせる。それを何度繰り返したのか、もはやさっぱり分からなかった。
チャンミンがこのジムに入会したのが二年前、勤める商社の支社に出向となり、それに伴い引っ越しをした際、新たに入り直したのだった。
そのときからチョンはいた。チャンミンの担当だった。
あまり気の合うタイプの人間ではないなというのが第一印象であった。そしてその第一印象は未だに変化していない。
大雑把で、説明が下手で、運動馬鹿で、話の飲み込みがよくない。よく分からないことで突然笑う。
担当の変更を願い出ようかとも当然考えた。しかし、思いとどまった。
それはその後の居心地の悪さを考えてという理由が大部分であったが、それと共に、チョンのどこか憎めない感じ―――持って来てくれたカップに注いだ水を途中でふたつともひっくり返すであるとか、目標のタイムを切ったときに自分のことのように大声で喜びを表し、抱きついてくるであるとか、これ好きなんですよ!と言いながら毎度のように菓子を分け与えてくるであるとか、そういうことの積み重ねが、チャンミンに苦笑と諦めをもたらしたためでもあった。
一年程が経過した頃、チャンミンはチョンとトイレで鉢合わせたことがあった。
水を出し、両手を揃えてその中に溜め、顔にばしゃばしゃとかけていた。そのするりと伸びた、竹のような指にチャンミンは目を留めた。しぶきがあがる。小さな顔が刹那、消える。虫の腕や足のように長く伸びたその指一本一本が、妙にチャンミンの目に焼きつくように迫った。
気付いたチョンは、あ、シムさん、と顔を上げ、やべ、タオルねー、と言った。
しかたなしにチャンミンは手に持っていたタオルを渡した。
礼を述べて、チョンはなんのためらいもなく顔をごしごしとその薄青い大判のタオルで拭いた。いい匂いするな、と言いながら。
その姿を見、言葉を聞いた瞬間、チャンミンは相手の手から自分のタオルを奪い返し、走って逃げたい強烈な衝動に駆られた。
だがもちろん、そんなことはしなかった。その代わりにただ、唇を引き結んで下を向き、いいえ、と言いながら、肌の色を濃くしていた。
その後、チョンを見て、そういう感情が再び起こるということはなく、チャンミンは心底からほっとした。それからまた、週に二度ほど通い、用があるときにチャンミンが話し掛け、それにチョンが対応する、という、他の会員とトレーナーと同じ関係性が続いた。
しかしあるとき、チョンが珍しく、心ここにあらずといったさまで、ねえ、シムさん、と低い声で聞いてきた。
チャンミンは我知らず呆けた顔になり、囁くようにはい、と応じた。濃い、黒い眉を寄せ、チョンは顔をチャンミンに近付け、問うた。
プレゼントなんですけど、何がいいですかね?
呆気に取られたチャンミンは、は、と言ったまま頭で浮かぶ予想が現れては弾けて消えた。
あ、彼女の誕生日のです。
そう言えば、といったようすでチョンは付け足した。
背中に、分厚い、途方もなく分厚いジャケットでもかけられたかのように肩を落とし、チャンミンは大きな黒目を揺らして寄せられたチョンの真面目くさった顔を見た。
ゆっくり、長く、息を吐き、アクセサリーとか、駄目なんですかと口から出した。
すると、なんだかんだと勢いづいてチョンは語り出した。
いや、もう長いこと付き合ってて、あらかたあげてるし、そもそも好みが激しくて、あんまり無難なものあげても喜ばないし、花とかはまた別物だし、と矢継ぎ早に述べていく。
よく動く口と瞬く目をチャンミンは注視した。また、手がその前をひらひらと踊った。指が、木の枝に似た指が、誘うようにくるくると動いていた。
まったく違うことを考えながら、チャンミンは言った。
TRPGとか、どうですか。
え、何、ゲーム?聞き返してくるチョンに、簡単に説明した。
テレビでやるんじゃなく、テーブルの上でやるゲームのことなんですよ、いっしょに、友達とかも交えてできるので、面白いですよ、と。
途端チョンの表情が一変した。
なんか難しそうだけど、それいいですね!!俺たち共通の友達多いし、超楽しそう!!
満面の笑みを浮かべて、チョンはチャンミンに抱きついた。ぎゅうぎゅう抱きしめ、背中をばしばしと叩く。ありがとうございます!助かりました!チャンミンの耳、ほとんど穴の中直接に声は入ってきた。もうだいぶ長いこと、その距離で音を侵入させたのは、愛する音楽の数々だけであった。
支社への移動を機に、彼女とは別れていた。
それからデートは何度かしたが、次へと繋がる出会いはなかった。チャンミンは選り好みが激しく、一定レベル以上の女でないと、目に入らないようなタイプの男であったから。
相談に乗ったのち、チョンからそれに関しての話を聞くことはなかった。それはチャンミンがもう、トレーナーを必要としないという態度を明確にし、もくもくとひとり作業に取り掛かるようになったことで、聞ける機会がなくなったためと言ってよかった。話しかけるなという強いオーラがチャンミンの体から立ち上っていた。そういう客はいる。慣れたトレーナーはすぐ読み取り、さりげなく距離を置くようになる。
チョンは当初、その性格から、そんなチャンミンの態度を敏感に察知できず、なんやかやと話しかけようと画策していた。が、話しかけてもほとんど首肯される程度で済ませられ続けるうち、とうとう引き下がった。
そうして、今に至る。
蛇口をひねって流れを止めた。
瞳を現したチャンミンは、タオルを取りながら思考の回転をいったん急停止させた。
とにかく、ジムには通いたいんだから。
どこだっていいんなら、ここだって別に構わないわけだから。
そうした誤魔化しをまた自分に言い、チャンミンはロッカールームを目指し、湯気のこもる白い部屋をゆっくりと出た。

受付にはチョンがいた。
普段そんなことはなく、驚いたチャンミンはたじろいだ。ただ目を見開いただけではあったが。
カードを返されながら、視線を感じ、チャンミンはそれでも黙っていた。イヤホンをしておけばよかったと唇を噛みかける。
「シムさん」
 笑みから零れてくる言葉。自分の名。思わず台に置いた手を握った。
「これ」
 体を折って下から何かを引っ張り出すチョンを見て、予想外の展開の連続にチャンミンは目を泳がせてただ待った。
両手で持ち上げ、台に置いたそれは、大きくゲームの文字が表に浮いている。
「…これ」
「はい。シムさんおすすめのやつです。…なんでしたっけ」
「…TRPG」
「あ、そうです、T…です。これ、シムさんに、あげます。もらってください」
 視線をチョンのそれに合わせた。しっかりとした目で、唇に笑みを乗せ、チョンはチャンミンをじっと見ていた。さあっとチャンミンは体温が上がる。また、汗腺から水分が滲む。
「え、なん、で」
「これ、あげなかったんです。別れちゃって、誕生日直前。ふられちゃって」
 えへへへ、と続けるチョンに、チャンミンは、それは…お気の毒に…と口の先で小さく答えた。
「はい、辛かったです。もう、だいぶ平気ですけど。それで、これ、捨てようかと思ったんですけど、もったいないし、あ!じゃあシムさんにと思って、ずっととっといたんです。で、今週、誕生日でしょ?」
 会員カード、とチャンミンは手に持ったままのそれに載ったみずからの生年月日を思った。
「だから、はい。どうぞ」
 にっこり笑い、差し出すチョンの顔からチャンミンは目が離せなかった。
「ずっとまともに話せなくて、淋しかったですよ、俺、ほんと」
 チャンミンの眉が垂れた。唇は酸素を求めて身勝手に隙間をこしらえる。
「シムさん、俺のこと、嫌いになったりしてませんよね?」
 小首をかしげるチョン相手に、チャンミンは今伝えられた数々の情報が身のうちを血液の流れるように回っていくのを電気がびりびりと通ったように実感した。
 唇を湿した。手を、掌を上にしてチョンの方向へ向ける。
受け取りながら、言った。
「…そんなことないですよ」
 目は見ることができなかった。
「あ、そうですか!よかったあ!」
 花の咲くような声音でチョンは答えた。
「…これ」
「え?」
 ゲームの箱を見下ろしながら、チャンミンは続けた。
「これ、…いっしょにやりましょうよ」
「え?」
「面白いですよ」
 顔を上げ、少しだけ下にある男の、少々戸惑いの乗った顔に目を向ける。
「あ、はい!いいですね!」
「…じゃあ、チョンさん、週末どっちか休みですか」
「え、…日曜日、休みですけど」
「それなら、日曜日、あの、このビルの斜向かいにあるビルの一階の、a piece of appleで、チーズケーキ買ってきて下さい。駅まで迎えに行きますんで」
「あ、あの店?あそこうまいよね。名前今初めて知りました」
「そうです。ベイクドですよ。あそこスフレとかレアとかも置いてますけど、ベイクドですからね」
「べいくど…」
「固いやつです。クッキー生地みたいなのが下に敷いてある」
「ああ!分かった!俺もあれ好き!そうでないのも好きだけど。全部うまいよね」
「よかったです。じゃあ、待ってますんで」
「え」
「電話番号書いてあるでしょう、会員記録に。何か分かんなかったら電話してください」
「え、う、うん」
「それから、これ、そのとき持って来てください。俺今これ持って帰れるような袋ないんで」
 手に持った平べったい箱を、チャンミンは突っ返すようにチョンの方に差し出した。狐につままれたような顔で、自動的にチョンはそれをまた手に取る。
「じゃあ、日曜に」
 頭を軽く下げると、踵を返したチャンミンはウィー、と唸り、左右に開くドアに大股で進んだ。
振り返ることもせず、そのままエレベーターに向かい、耳に極小の穴の開いた黒い玉を押し込みながら、帰ったらまたシャワーを浴びよう、と考え、数字の上を光が過ぎていくのを見つめた。



おわり



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20170729

輪舞曲2604【『海に沈む森の夢』企画1・東方神起二次小説】
 業務用は特製になっていることでむしろ視界がクリアではない場合がある。
非常に高価なその分厚い強化ガラスは、たとえ隕石がぶつかっても割れることはない。小さなひびだけでも、入れるためにはおそらくレベル6程度の兵器を使用しなければならない。
そんな堅牢な、絶対破られない檻のような透明な面を通して目にする宇宙空間は、そこらじゅうに星と、ゴミが散らばっている。
故障したひとり乗り用の小型宇宙船が、部品を緩やかに周囲に撒きながらユノとチャンミンの間を舞っていた。
ヘルメットの耳部分に開いた穴から、チャンミンの声がユノの脳内にくっきりと響いた。
「どうします、これ思ったよりかなりでかいですね」
 げんなりしているのが声音でよく分かる。チャンミンは予定と違うことが起きるのを好まない。それをよく知っているユノは、ある角度で若干スモークが掛かるようになってしまう使い勝手の悪いただただ頑丈なガラス窓からチャンミンを見、目を合わせて言った。
「確かに。今日乗ってきたのだとこれ入れるとこれから回収する予定の数こなせねえな。行って戻ってくるってことになるけど、運転お前がするわけだから、お前に判断任せるよ」
 ぱちぱちとその大きな目を瞬いてチャンミンは答える。
「いいんすか」
「うん。これ旧型だな。こんだけでかいの久しぶりに見たよ」
「シートひとり分ですもんね。家族用じゃねーんだ、この大きさで」
「エンジンがすげー古い型なんだよ。今この十分の一だからな」
「これほっといたら間違いなく苦情来るな。あー、いやんなるな。どっから来たんだよこれ」
 髪に触ることができたならきっとわしゃわしゃとかき混ぜているだろうというようすの、だがそれが叶わないので型落ちの動きづらい宇宙服できしきしと腕組みをしているチャンミンを見て、思わずユノは緩く笑った。
「笑ってる場合じゃないんすけど」
 そう言って先輩であり仕事のパートナーであるユノをひと睨みすると、溜め息を吐いたチャンミンは、ひとりごとのように、しょーがないっす、後ろ積みましょう、と続けた。
「分かった」
 このスピーカーは、ほんとうにすぐそこでチャンミンが話しているかのように、かっちり型を抜いたような音を耳に直接入れてくる。だから自分の声もきっと、いくつか含めたニュアンスをきちんと相手に届けているだろうとユノは思った。
しかし彼の見た目に、それによる変化などは認められない。ユノはそれを期待していたわけではなかったため、もくもくと宇宙服の上から防護用の手袋を嵌め、その上で怪我のないよう金属片を掴むための大きなハンドクリップを持ち(これは大変改良が進み、以前よりずっと扱いやすくなっていた)、それで次々と蓋を開けた廃棄物収集用小型船に分解していくかつて誰かを乗せていたであろう旧式の船を入れるチャンミンを無表情に見守りながら、手伝うため、自分も同じように準備をし、彼の背後から零れ漂う残骸を集め、渡した。
移動にふたりが乗り込む前部は、かなりコンパクトな作りになっていたが、後部に廃棄物を乗せた船を取り付け、それを運ぶために、エンジン自体は最新式の、動力のあるものになっていた。部品の多い、ほろほろになってしまった旧型船をようやくすべて回収すると、チャンミンが先に立って船に戻り、ユノがそれに続いた。
 宇宙服を脱ぐと、汗が顔に広がったチャンミンが現れた。やっぱりと思いながらユノは無言でチャンミンに濡れタオルを渡す。
「あざーっす」
 ふうー、と息を吐き出し、回転しながらチャンミンは顔をその中に埋める。
「俺EMしてくる」
「あー、はい」
 長い脚を掻くようにしてユノは操縦席の背後、いちばん奥にある個室に向かった。
 陰茎に装着する、男性用タイプの排泄機具をユノは自分のペニスに被せ、用を足した。いつからか、すべてのこうした機械はEMと呼ばれるようになっていた。アメリカが最初開発した際に頭文字を取ったのが(Excretion Machinery)定着し、そのままになったという話だった。たいてい女性用と、また大便用がどの船にも常備されているが、女性用が使われることなど実は皆無だ。何故これを取り付けてあるのだろうとユノは毎度首を捻った。ずっとラックに掛かったままの、異性のためのEMをぼんやり見つめ、出したものを吸い込んでいる音を聞き終えると、覆った箇所をさっさと外し、洗浄用機械へとその先を突っ込んだ。
 その部屋を出ながらユノは後ろ向きで回った、頭の後ろに両手を添えて。ゆったりとした速度で席まで回転していくと、チャンミンが「ちゃんと手を拭いたでしょうね。不精しないでくださいよ」と横目でねめつけるようにしながら言った。
「拭いたよ」
「ほんとですか」
「うん」
「先輩のあそこ触った手とかほんと勘弁なんで」
「お前な。お前だって彼氏の触ったりするだろ」
「彼氏と先輩じゃ全然わけが違いますんで」
「まあそうだけど。そんなふうに言わなくてもいいだろ。それに拭いたっつーの」
「はいはい」
 信じますよ、と言いながら疑惑の目をなおもチャンミンは向けていたが、それはいっときのことであった。
卵の頭部分のような形態の船前部は、操縦席前は当然ながら強化ガラスになっており、その向こうに宇宙がどこまでも広がっているのをパノラマで見ることができた。黒々とした世界に、星、星、星、人口衛星、ゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ、人口衛星、星。子供のままの神が、好き勝手に何かをばら撒いたかのようなごちゃごちゃとした光景だった。椅子に体を固定させ、ユノとチャンミンは疲れからぼうっと眼前の広大な景色をただしばらく眺めた。
宇宙空間に出ての作業は、彼らのような体力に恵まれた人間であってもひどく消耗するものであった。それは、惑星に住むということをしなくなった人類が、大型宇宙船に居住することによってそもそもの筋力が落ちていることも大きかった。世代を経ることで、どんどんと身体能力は落ちており、ふたりの代にまでなると、この仕事は非常に過酷なものであると言っても言い過ぎではなかった。
だから時間を見つけては体を鍛えることをふたりは、つまり宇宙に出る者は怠らなかった。今は仕事中なので、必要以上に体力を削ると事故などにも繋がるため控えていたが、帰りの運転中、その日の担当でない者はトレーニングに励んだ。今日はチャンミンが操縦担当であることから、ユノはどのメニューをこなそうかと頭の一部で考えていた。
プー、と、空母船からの連絡を伝える発信音でふたりは軽く体を起こした。ほとんど縛られているような格好であったが、確かにわずかに上半身を椅子から離した。
「はい」
 チャンミンが応答した。スイッチを押すと同時に下から飛び出した、画像を浮かばせる精密機器によって人の顔がその上に透けて映る。
何も顔に浮かべずユノは前を凝視していた。どんな予測も彼は基本しなかった。したところであまり意味がないと思っていた。言われたことをこなすだけ、それ以上でも以下でもない。
チャンミンは眉と唇に微妙な笑みを乗せて顔を突き出した。
「あ、シム?」
「キム先輩」
「ジュンスでいーって。他に何人キムいると思ってんだよ。キム率は二十一世紀からそんなに変わってねーんだぞ」
「じゃあジュンス」
「なんで先輩抜かすんだよ」
「ジュンスでいーって言ったじゃないすか」
「先輩抜かしたら駄目だろ?そんなのありなわけねーだろ?儒教の精神もまだ死んでないんだぞ?」
「うるさいなあ、分かりましたよジュンス」
「おまっ、お前それ分かったって言わねーだろ。だいたいうるさいってなんだ」
「ごめんなさい間違えました、ジュンス先輩、ところで用はなんですか」
「お前はほんとに、すごいな」
「早く言ってくださいよ先輩。室長に怒られますよ」
「分かってるよ!あのな、今日は今いるところじゃなくて、P‐NE5.7あたりに廃棄物が多いらしいんだ。報告があったし、AATで確認してもそうだった。だからそっち行ってくれ」
「了解しました」
「チョンさん映ってねーけど、そこにいるんだろ?」
「おー」
 カメラが感知するところまでユノは体をチャンミンに寄せた。
「あ、お疲れっす。何か変わりないですか」
「大丈夫だよ。そっちはどうだ?」
「通常通りっす。それじゃ今言ったこと、チョンさんも聞こえてたと思いますけど、そういうわけなんで、よろしくお願いします」
「了解」
「それじゃ」
 ププッ。
交信完了の音と共に、ジュンスとそれを映し出していた機具は操縦桿の上あたりに吸い込まれるようにして消えた。
椅子に背を付けながらチャンミンは言った。
「場所移動っすねえ」
「そうだな」
「まあそんなに遠くないですからね。一時間もあれば着くか」
「あんま飛ばすなよ」
「俺いつも安全運転じゃないすか」
「そうだけど、一応さ。急ぐと悪いと思って」
「急ぎませんよ、こうなったら。一旦戻るつもりでしたけど、こんな予定変更があるなら言い訳も立つんで、もう今日は指示されたところに行って、回収できるだけ回収して、それで業務終了にします」
「お前が上官みたいだな」
「俺の好きにしろっつったじゃないすか」
「そうだな」
「じゃ、そういうことで」
 巨大とも言える黒目でチャンミンはユノを一瞥した。横に長い唇の、両端を心持ち上に向けながら。
「…そんな不細工な顔で見んなって顔しましたね」
 半目になった黒目を再度ユノに向けてチャンミンが低い声で言い、ユノはさっと首を横に捻ってその視線を受けた。
「そんな顔してねーよ」
「いーえ、そういう顔してましたよ」
「お前そんな不細工じゃ」
「そんな誰が聞いても嘘って思うこと言わなくていーんですよ。ただそう思ってるって顔に出さなくていーんじゃないすかね」
「いやだから、思ってねーって俺は」
「そりゃ先輩の方が顔はいいですよ。でも先輩だっていいとは決して言えないんですからね」
「ああ、俺はそうだよ」
「でも目がそれだけ小さいじゃないですか。他がよくないですけど、でもそれは強みでしょ」
「お前さりげなく俺をすげー落としてるけど」
「目は褒めてるじゃないですか」
「そうだけど。お前だって唇とか悪くないと思うぞ」
「まあ…そうですね。もっと膨れてて、どっちかに曲がってたらと思うんですけど」
「今でも十分いいと思うぞ」
「お世辞を言わないでください。俺はそういうことを望んでるんじゃなくて、思いやりの精神ってものを持ってほしいって言ってるんですよ。慈しみの心ってやつですよ、分かりますか?ほんのり嘘までついてなんとかこの場をしのごうとするかそういうんじゃなくて、はじめから顔に思ったことをまんま出したりとかしないでほしいってことですよ」
「ごめん」
「謝らないでくださいよ、みじめになるんで。どうかこんなでかい不恰好な体してることとか、こんな人から馬鹿にされるような仕事してることとかを、意識させないでください」
 いつの間にかチャンミンは、本気で怒りによって色の黒い肌をより濃い色に染め上げていた。小さな、自分の体の中でもっとも嫌いな部位のひとつである唇をユノは引き結び、前を向いて船を発進させたチャンミンの顔をひたすら見つめた。
「…これから、気を付けるから」
 やっとそれだけ言うと、チャンミンは少し顎を引いて、小さく返した。
「…いえ、俺の方こそ、すみませんでした。上司に向かって利く口じゃありませんでした。調子に乗ってました」
「ううん、いいんだ。俺が悪い」
「いえ、感情的になった俺が悪いんです。先輩は何も悪くありません」
 眉をひそめ、上目で強い視線を行く先へ投げるチャンミンを、やはりユノは目に映していた。そうしながら、もう何も言わなかった。
 人類が星を捨てたのは、もう何百年も前のことだ。
そして宇宙空間で暮らすようになってから、徐々に人々の意識はすべての面で変化した。
宇宙では効率が非常に重視される。むしろそうでないと生き延びることができないため、だいたいのものが機能性を求めた見た目と作りをしているのだが、だからこそ、そうでないものに美があるという観念がゆっくりと、しかしなかなかもうこれは取り除けないというくらいに深く根付いた。所謂美醜というものが、ほとんどひっくり返ったような状態になっていた。
その中の大きなひとつが、人間の外見についてのそれである。
大型船が巨大であると言っても、場所は限られる。つまりスペースを取らない方がいいはずであるのに、そのことから逆に女性はむしろ大きな方が美しいとされるようになった。目鼻が埋まるほどに太った、トドのような女性がもっとも美人とされ、こぞって男にもてはやされた。
その状況には、宇宙空間では何故か女性が生まにくいという事態が関連していた。ホルモンバランスが崩れ、その影響から生まれてくる赤ん坊の多くは男児となった。比率は男性:女性が約五:一となり、女性が生まれるととにかく大切に扱われ、山のように食べ物を与えられた。ふわふわと浮く大木のような女性は邪魔そのものであったが、奇跡のような存在である彼女たちは、男性陣がぶつかると、彼らに幸運と幸福と興奮でたまらない思いをさせた。小さいよりも大きいとありがたみが増すという思考の流れが生まれたことも、その美に関する意識に関係していた。
体重の増加により当然病にかかりやすくなったが、そもそも人類自体が宇宙に出たことで大変健康を損ない、寿命が短くなっており、長生きそのものに価値を見出さなくなっていた。どれだけその間にことを成すかということがより重要になり、それは女性にとっては妊娠・出産、そうでなかったら学術や研究や芸術やスポーツの分野で業績を残すか、もしくは何かしら充実した毎日を送ることが人生の目的となった。どんな女性であっても(たとえ痩せ型で、体質的にどうしても太れないとあっても)男性はより取り見取りと言ってよく、恋愛を第一義とする女性はほどんど見受けられなくなっていた。
そしてある程度の年齢に達すると、望めば安楽死をすることが可能だった。法律で、性別関係なく、二十五歳以上はその意思を実行に移すことを認められていた。それだけ病気の症例は増え、宇宙飛行による事故死も多く、生から逃れることを否定する宗教や道徳の力はもはやなかった。
 男性は女性と結婚するためには、相当の資質と努力を要した。
 体型は、女性と逆で、効率を何よりも求められ、要するに小さい方がいいとされた。地球に住んでいる場合と違い、広大な内部を有する船とは言え、人口から考えれば狭い船内では、その方が小回りが利き、人や作業の阻碍もしない。手足は短く、体はコンパクトに。平均身長は今や男性は百六十センチメートル程になっていた。いちばん人気があるのが百五十五センチ程度で、それはセックス時に、あまりに背が低いと行為が難しくなるためだった。対して女性は身長に幅があり、百四十センチ台から百七十センチ台と多様であった。それでもやはり、世代を重ねるにつれだんだんと低くなり続けていた。
しかし顔は、体型に対する考えとはまた違い、女性の容姿の判断と似て、均整の取れたものからかけ離れている程いいというような嗜好が生まれ、バランスの崩れたそれがよいとされた。黄金比などどこ吹く風で、ひしゃげていたり、ぼこぼこと異常に骨張っていたり、パーツが離れていたり寄っていたりするのが美しいと、人は感じるようになった。目は小さければ小さい程よく、岩のような顔に、極小の目玉と大きく、歪んだ鼻や口があっちこっちといったふうに付いていたら、それがハンサムの見本であった。肌質もつるりとしているよりもざらざらごわごわしている方が好まれた。ニキビ跡など最高だと多くの女性が思っており、思春期にそれが表れると特に男子たちにとっては非常なステータスとなった。
つまりユノとチャンミンは、はっきりと不細工グループであった。特にチャンミンは、もう下の下と言ってもいいランクに相当した。
 ふたりの仕事は管轄内の宇宙空間の廃棄物処理で、彼らは清掃作業員に該当した。給料は少なく、社会的地位も低い。それは職種の前に船内での仕事に従事していない時点でそうなることが決まっていた。何故その仕事に就いたかと言えば、ユノの場合はそもそも学力に問題があり、資質から肉体労働に向いていたからで、チャンミンの場合は両親が金銭的余裕がなく、平均以上の知能を持っていたにもかかわらず教育機関―――選ばれた一握りしか進学できない―――に進むことができず、また船の内部での仕事をするには体が大きすぎて厄介者扱いされるからであった。
人口が以前よりかなり減少した人類は、それでも国ごとに基本船を分け生活していたが、その中でヒエラルキーが、かつての階級社会のようにしっかりと構築されていった。どの国でも似たようなものだった。
長寿と健康に意味がなくなり、この時代生きることとはすなわちその狭い世界の中でどう誇りを保ち有意義に過ごすかであった。いつ死んでもいい、という前提が皆の頭にあり、そういったことからもたまに女を巡って殺し合いが起きたりした。もちろん法律で禁じられてはいるのだが、人口をやたらに増やすことは奨励されておらず(食糧や住居問題があるため)、子供を作るということは人々の優先事項から外されかけてさえおり、そうなると甘い判決になるのかと思いきや、むしろ殺人のお咎めは厳罰化されていた。限られた空間において規律というのは大変重大な課題で、冤罪の可能性なく殺人を犯したとなれば問答無用で死刑であった。それは人殺しに走ってしまうようなタイプの人間の遺伝子を残す無意味さ、またその危険因子を抱え続けるというリスクを重く見ての判断であり、執行機関は死刑宣告とその後の処置になんのためらいもなかった。強姦や強盗や障害や詐欺など、あらゆるその他の犯罪も、ことによるとそれに手を染めた者に死をもたらした。
肥えた女というのは、それだけ食糧を確保する財源のある家ということで、今や食べ物はほとんどを土や水が無事である他の星からの輸入に頼っている地球出身の人類は、太陽系共通の通貨であるンテューをより所持している人間がそれを購入することができ、そうした理由からも男性諸氏は喉から手が出る程彼女たちとの結婚を望むこととなった。資本経済の基礎は変わらず、船内や船外で金を稼ぎ、それを元手に直接個人が星を越えて輸出入の取り引きをしていた。政府はそれにタッチしないということも法で定められており、仲買人や輸入業者というものは少数しか残存していなかった。
そんな中でも福祉の思想はまだ生き残っており、餓死する人間が出るようなことのない仕組みを国が敷いてはいたが、豊かな者と貧しい者の差は広がるばかりであった。先に書いたように、肉の塊のようになった女性が美しいと考えられた背景にはそういった面もあった。あの女と結婚すればその実家の援助が得られる。それは安楽な生活の保証であった。しかしいつしかその打算と概念が一致を見、その大きな女たちは単に計算ずくの男たちの餌食になるというようなことはなくなった。彼女たちは人にもよったがおおかたがもっとも進んだ、優れた教育を受けたエリートで、多くが傲慢で鼻持ちならず、だが知識と教養には溢れ、近寄ってくる大量の眼鏡に適わぬ男を一蹴して長いときを過ごしていた。
そんな状況から、男性が男性と恋愛関係に発展することが珍しくなくなった。
同性愛はごく一般的なものであり、婚姻関係も当然結べた。それは女性も同様で、女性同士で結婚し、共に暮らすカップルも多かった。
ロボットの進化はとどまることがなく、働き手が大量に要るという状況は望むべくもなくなり、そうしたことからも産めよ増やせよ精神がほぼ死に絶え、子供を持つことはただの生き方のひとつとなった。子供が生まれるときに期待されるのは新たな女児の誕生であり、そして実際この世に彼女たちが生を受けると人々はひとり残らず祝福した。それはわずかに残った、人類の滅亡への危惧の表れのひとつであった。
同性のカップルは、卵子(これは貴重である)や精子バンクからそれぞれ必要な方を入手し、我が子を得ることもあった。だが大部分はふたりだけで生活を送った。大型船内の集合住宅のひとつや、個人住宅の宇宙船で。
ユノは後者で、チャンミンは前者であった。たいていの成人男性は、自分だけの城を持つ余裕などなかった。ほんとうに広い、町が丸々入る船ではあったが、それでもそれは船であり、ひとりから三人ほどで暮らすためにあつらえられた居住スペースは、とてもささやかなものだった。
 俺がもし家持ってなかったら、いちばん狭い、やっすい部屋を借りるんだろうな。
くっくっと笑う声がユノの耳にこだまする。
お前の家は豪邸だよなあ。
唇には微笑があるのをユノの黒い目が捉える。しかし目は、横長の、やけに中が光る、何色かよく分からないその瞳は、まったく笑ってなどいない。
眉間が寄る。息が苦しい。まるで何も着ないままに、星やゴミ屑の浮かぶ空間に放り出されたかのように。
 お前、奥さんとやるとき、俺のこと思い出したりする?
顔のすぐ前に顔がある。長い前髪。他の誰とも違う目のかたち。角ばった顔。ふっくらとした、淡い色の付いた唇。
全然美形などではないのに、ユノはその顔や、色の白さに幻惑される。趣味が悪いなとその当人に笑われながら、それでも激しく興奮し、口を吸わずにいられない。
俺なんかとやって、お前馬鹿だな。
低く、やたらに重層的に広がる印象を抱かせる声が、顔のすぐ傍からもたらされ、何かから逃げようとするかのように目を閉じたユノは、それでもその甘さに体全体がしびれ、完全に参っていた。
真っ白い、滑らかな肌。その吸い付く感覚。こんなものは愛でるべきものではないはず。なのに。
「先輩」
 すうっと息を吸ってまぶたを上げた。
汗を掻きながら隣を向くと、チャンミンが怪訝そうにユノを見ていた。
「汗掻いてますよ、拭いた方がいいっす」
「…ああ…」
 深呼吸をしながらユノは現状を把握した。
夢か。
あんな夢を仕事中に見るなんて。思わず下半身を見下ろす。幸いベルトで下腹部は覆われ、そうとははっきり分からなかったが、確実にそこは膨張しており、押さえ込まれていることでかなり強い痛みがあった。
「悪夢っすか」
「……ああ…うん、……いや…」
 備え付けのタオルで顔を押さえる。熱い呼吸に、自分の昂ぶりの度合いを思い、後輩の横でと羞恥にタオルで視界を隠した。
「連絡がありましたよ」
 前方を見つめたままのチャンミンが言う。
「え?」
「別の船も後ろから来てるらしいんです」
「あ、そうなのか?」
「はい。そこの仕事が早く終わったことと、今向かってる地点に結構ゴミが集中してるってことで、俺ら以外にも人送ってるみたいです」
「そっか」
「使えるやつらならいいなあ。ぐだぐだ言わないでただ仕事だけぱっぱとやる連中じゃないと面倒なんすよ」
 眉をひそめて言うチャンミンの横顔を見、何も気付かれていないようだなと内心ほっとながら、口を開いた。
「まあな。でもこれで今日早く上がれるかもしれないしな」
「そう期待したいっす」
 程なくして指定された場所へ到着した。
スピードを落としていたチャンミンは、そこに近付きながら、うわー…と、無意識の内にといったような声を発した。
「ほんとに溜まっちゃってますね」
「そうだな」
 ゴミに接触しないよう、距離を取って船を止める。仕事の性質上もっとも丈夫な素材を用いてふたりの乗る船は製造されているが、ぶつかるなどの事故を起こせば無傷で済まない場合もある。それは船内の人間も同様だ。
ブレーキを完全にかけたチャンミンは、ユノと目を合わせた。
「それじゃ、出ますか」
「おお」
 作業服を着込むと、がこんと扉を開けた。
前を行くチャンミンの背後を、ユノはふわふわと追いかける。
何が原因かは判然としなかったが、ここ最近でもっとも汚れのひどいケースだった。機械類だけでなく、食品などの有機物もちらほらと浮いている。
「まじか」
 チャンミンは絶望的な表情を浮かべ、自分の前を泳ぐように過ぎていく、プラスチックで出来た菓子の袋を目で追った。
「事故でもあったのかもな」
 ユノはその赤い袋をばっと取った。中は空だ。
「そんな知らせはなかったですけどね。でも可能性高いっすね」
「あれなんか割と新しい型だけど損傷がひどいだろ。何かと衝突したんじゃないか?」
 長い腕を伸ばして指を指すと、チャンミンはその方向に顔を向けた。
ゴミの中心とも言えるところで、まるでそれが星で、その周りを衛星が囲んでいるとでも言うように、宇宙船が漂い、金属部品やあらゆる生活ゴミが輪を描いていた。
人が住んでいる気配はない。宇宙船には必ず、生体反応を示す巨大なランプが備え付けられており、人間や、ほとんどそんなことはないが動物がその中にいると、そのことをセンサーが感知し船外に絶えず伝えるシステムになっていた。百年単位でエネルギーを中に溜めておけるその灯を、船を作る際取り付けることをメーカーは星を越えて義務付けられており、つまり生物が内部にいるかいないかは確実に一目瞭然なのだった。
「とりあえず中見てみるか」
「はい」
 移動用の小型エンジンのスイッチを押し、ユノはその損壊した、見たところ数人乗り用の船に近寄って行った。チャンミンがそれに続く。
ドアの前へ辿り着くと、鍵が掛かっているらしく内側への進入はすぐには不可能だった。常に携帯する作業箱から、ユノは熱伝導で金属などを破壊することの出来る銃のような機具を取り出し、それを鍵穴へ当てた。ブシュ。あっけなくそこは壊れ、コックを軽く回すと簡単に扉は開いた。
「気を付けろ」
 軽く振り向きつつユノは後ろに呼び掛ける。はい、という確かな声が戻り、小さく首肯すると体を入れた。
ここ一帯は太陽系惑星の共有区域で、不法滞在という概念はなかった。それでも油断は禁物だ。犯罪者はいつの時代の、どんな場所でも存在する。何らかの理由でここに隠れ住んでいる不届き者がいるという可能性は、完全には否定できない。
武器となるものはかなり大量に持っていた。しかしそれは本来の使用方法でなく、こうした場合、もし危険人物と出くわしたらすぐに緊急連絡を信号で送ることになっている。ユノはそのスイッチをいつでも押すことの出来る体勢でそろそろと内部を進んで行った。
移動に特化してはいるが、普通の住居用の船舶であった。カップル用にそれは見えた。たいていふたつずつ物は揃っており、装飾の好みから言って持ち主は男性だろうと思われた。女性だと、もっと至るところが出っ張っていたり、色味が明度の押さえられた、土の混じったようなそれであったりする(ユノはしかし土というものをあまりきちんと見たことがない。子供の頃授業中、映像で何度か目にしただけだ)。けれどもここはそうでなく、ただ使いやすさだけを求めたつるりとした室内で、パステルカラーが目に付いた。間違いなく男のカップルだ。あまり推測というものが得意でないユノでさえそう分かった。そう結論付けた瞬間にチャンミンの声で「こりゃー男ですね。しかもヤロー同士だな。まあこれくらいの設備の船に女が乗ってるわけないしな」と聞こえた。
「そうだな」
 そちらを見ることなくユノは答えると、コックピットの見えるリビング兼ダイニングには誰もいないことが判明したため、寝室と思しき部屋の方へと移動した。
まだエネルギーの備蓄があるのかボタンを押すとドアは開いた。そして筒型の、ふたつ並ぶベッドに目を向けると、片側に人間の足が見えた。
「あ」
 つい零れたといったような声がユノの後方からした。小さな目をいっぱいに開けたユノは、ゆるゆるとその上方にしつらえられたベッドに近付いた。
外から開ける際に押すボタンに指を置き、力を込めると、シュー、と中がスライドし、クッションに覆われた円形の下部分がふたりの方に突き出てきた。
数秒黙りこくったあと、意を決してユノはその中を覗き込んだ。ひどいものを目にしてしまうことを覚悟した。
だがそこにあったのは、まだそれほど腐敗の進んでいない、割合綺麗な男性の死体であった。
これまでも何度か、ユノは仕事中に死体を目にしたことがあったが、その中でもこれはだんとつにまともなそれだった。千切れていないし、陥没したり、皮膚が変色し崩れ落ちたりもしていない。ミイラ化などまだまだ先だ。
口から泡らしきものを吐いた跡が少し残るくらいで、目もほとんど閉じていた。かなり身長があるなとユノは見て取る。自分やチャンミン程ではないけれど。手足がすうっと長く、顔立ちはハンサムから程遠い。つまりルックスは底辺だ。鼻だけは唯一、ほんの少し誇れるかもしれないといった作りの面であった。
肩に何かが触れ、びくりとユノは体を揺らした。首を回すとそこにはチャンミンの顔がある。その視線は、ベッドの上に浮かぶ男性にまっすぐ注がれていた。
大きく醜い目や、高くはあるがかたちのよくない鼻、ここだけは美が少し垣間見える灰色がかった長い唇が、すべて驚きに満ち満ちた。そんなチャンミンの表情を見たのは初めてで、ユノは絶句した。これまで長く共に仕事をし、いっしょにひどく痛んだ死体も見てきた。それなのにこの程度の死体にこんなふうな反応を示すなどおよそチャンミンらしくなかった。さすがのユノも、ただこれが死体であるという理由だけでチャンミンが凍りついたわけではないということを察した。
 筋肉と脂肪の乗った肩の上に手を置かれたまま、チャンミンの長い鼻を見つめてユノは囁くように言った。
「…チャンミン」
 黒目をうろうろと動かし、チャンミンは呼ばれた方を向かず、必要最小限に唇と舌を用い、応じた。
「…これ」
「うん」
「これ、………昔の、………恋人、です」
 喉の奥でひゅーっと音がしそうな呼吸をユノはした。そして再び見知らぬ男を振り向いた。
「…まじでか」
「…はい」
 ユノがチャンミンの交際相手に会ったのは一度だけだ。それも不可抗力でである。基本チャンミンはユノに私生活を明かさないスタンスを取っていた。だからこの死んだ男性とユノは顔を合わせたことがなかった。
チャンミンの恋人とは、数年前、偶然レストラン街で出くわした。重力発生装置の付いたその店で、チャンミンが連れていたのは男であった。と言うか彼程の容姿ともなると、女と付き合うのはまず無理と言ってよく、当然相手の性別は決まってしまった。その彼氏の姿かたちは、どこかチャンミンに似ているとユノは思った。細長い体の、やはり目のぱっちりした顔をした、少し若い男と並んで歩いてくる姿をしばらく見つめたあと、ユノは大きな歯を見せて笑顔を作り、彼の名を発した。隣には妻がいた。そこそこに太り、気が強く、我儘な伴侶は、重力が堪えているさなか、会話の途中で夫が仕事仲間に声を掛けたのが大変に不満だった。だからむっつりと、笑みなど顔に乗せず、黙って睨みつけるように彼らを見た。女性は基本的に男性よりずっと優位で、それを前提に大勢が振る舞うのが常識だった。
 ユノと視線を合わせたチャンミンは、気まずそうに眉の間を上に上げた。口角が曲がったようにかすかに上向く。軽く頭を下げると、そそくさと遠い席へと腰を下ろしにふたりは向かった。
「紹介くらいしてくれてもいいのになあ」
 がっかりしてユノがそう漏らすと、不機嫌そうに妻は言った。
「そりゃあんな彼氏連れてるところなんて見られたくないよ」
「あんなって?」
「とんでもなく不細工だったの見たでしょ、相手。チャンミンて人もほんとうに醜いけど、どっこいどっこいだった」
「そんなにかなあ」
「何言ってんの。誰が見たってそう。すごいカップル」
「そこまで言わなくても」
「事実じゃない。なに偽善者ぶってんの。だいたいきみ、ちょっと態度でかいよ」
「……ごめん……」
「まだ料理残ってるんだから、早く食べて。もう疲れた」
 赤く濁ったスープが丼に盛られている。妻の方のそれはもうほぼ空だ。
それでも向かいに座る女は、頬を揺らしながら上唇の腫れ上がったような口に、残りを熱心に運んでいた。寄った目を伏せている。そのそれぞれの幅は、一センチを少し越すくらいしかない。
美人なんだよな。
とっくりと見入ってユノは思う。
体格はそれ程立派ではなかったが、顔はかなり美しい部類に彼の妻は入った。引く手あまたと言っていい彼女が己を選んだことは、今だ人生における深く解けない謎であるし、とにかく自分は運がいい、とユノはよく考えた。
教育はいいものを授かっていたが、妻は賢い頭をしているとは言い難かった。だが例に漏れず、甘やかされて育ったことから気位は高く、好き嫌いが激しく、したいことは全部した。結婚もそうだった。
もともと裕福でない家庭に女子が生まれると、妻が欲しい成人男性はこぞってその家に援助を申し入れ、途端その家は豊かになった。そうした一種の個人的支援を受けることは恥でもなんでもなかった。それだけ女性は貴重な存在で、その赤ん坊をもうけることができたというのは宝くじに当たったも同然だった。それに、そうしたサポートを受けたからと言って、必ずその男と結婚しなければならないなどということはなかった。その際は娘の意思が何よりも尊重された。そんなわけでユノの妻は、金のない、見た目もぱっとしないユノと婚姻契約を結べたのだった。
ユノは妻と出会うまで女性と交際したことはなかった。男性数人と関係を持ち、妻に見初められ、そのとき付き合っていた男と別れた。
出会ったときもこうした飲食店で食事をしていた。
人々は無重力空間と重力空間を行ったり来たりしながら生活を送っていたが、女性が重力空間に赴くと、その体重の付加と体力の無さに耐え切れず、よく疲労困憊して食事もそこそこに店を出て行くことがあった。彼女も、もう死ぬかと思う程にぐったりし、両親と共にそこを訪れていたのだが、なんとか食事を終え帰ろうとしたところ、自動通路に足を引っ掛け、あわや転びそうになった。その瞬間、通り掛かったユノのがっしりとした長い腕が彼女の腹部に差し込まれ、倒れ込むことから逃れられた。
互いの目を見合うと、ユノはほぼ初めてと言っていい女性との接触に心臓が狂ったように鳴りながら、その肉の柔らかさと顔立ちのよさに陶然とした。そして妻は呆けたように相手の黒くつぶらな目を見つめていた。
その後あまり間を置くことなく、ふたりはいっしょになった。
妻は言った。
「目が、いいと思う。目だけだけど。あと、力があるっていうのは便利なことだなとすごく思った」
 それを聞いたユノはこの目をしていてよかったと、背があり、手足に筋肉があり、よかったと生まれて初めて思った。
女のために払われた、それまで両親が受け取った金持ちの男性陣の金銭を、返却しなければならないなどということはなかったため、実家はそれからのちも余裕ある暮らしができ、その助けも娘夫婦にもたらされることで、ユノも妻もつつましくしなければならないとか、懸命に昼も夜も働かなければならないとかいったことはまったくなかった。
 だがユノは仕事を続けた。それが性に合っていた。
妻からはさんざん文句を言われたが、のらりくらりとかわし、日々出掛けた。ふたり暮らし向けの住居用船舶を持ち、それはなかなか豪勢なもので、その中での暮らしは快適だったが、妻とロボットたちとずっとそこに、ただ毎日過ごすというのはとんでもなく苦痛であった。そんなふうに思うのはいけないと思いつつも、その感覚が失くなることはなく、あらゆるところにユノはチャンミンと共に出掛け、宇宙の掃除に精を出した。
明敏なところなどない妻であったが、夫が自分に輪をかけて頭脳が発達しているわけではないことは結婚する前から分かっていた。そのためことあるごとに彼をひどく馬鹿にした。確かにユノはそれすらもそこまで気にしない程鈍感と言え、彼女のそういった行為に苦しめられているということはなかった。
そもそも男性が女性にそうした扱いをされるというのは割と一般的なことで、つまり自他共にこんなにラッキーな男はいないと認めていたわけであるのだが、それでもユノはこの結婚は間違いだったのではないかと、時間ができると考えることがよくあった。新婚時代、その考えが脳裏をかすめると、そのたび無視してやり過ごした。が、はっきりとそれがかたちを成し、見ない振りをできなくなった。ジェジュンと出会ったからだった。
ある日の仕事帰り、通勤用の船を飛ばしていると、レーダーに停滞している機があるのが映り、ユノは運転を止めた。降りて近寄ると、エンジンがショートしたと、窓の向こう、中から文字が浮かび上がった。ここんとガラスを叩くと、運転手と視線が絡んだ。
なんだこの顔。
それがユノの、彼の第一印象だった。
結局ジェジュンの船は故障もしており、船舶の修理会社がそれを引き取っていき、見かねたユノが彼を家まで送ることにした。それが、始まりだった。
どちらがどちらを、ということではなかった。ユノはジェジュンの瞳から目を離せなかったし、ジェジュンは見てくるユノからまったく、逃げなかった。
親から継いだという家族用宇宙船(しかし存外小さなそれだった)にロボットたちとジェジュンは住んでいた。両親は相当早くに安楽死を選んだと、初対面のときに聞いた。
「ずっと、こいつらといっしょ」
 顎で指された四体いるロボットたちは、皆一様に、「ジェジュン」「ジェジュン」と甲斐甲斐しく彼の、そしてそれに伴いゲストの世話を焼いた。ユノは今まで接したロボットたちの中で、彼らがもっとも愛情表現に長けていると感じた。完全に家族として彼らはそこで暮らしていた。
基本ロボットは重力のあるところか張り付くことのできる足場のあるところでないと、行動の取れないものがまだまだ多かった。それはその作りと人々の需要が密接に絡んだ問題で、ある部分は特化し、ある部分は未熟であるという状況を招いていたが、しかしすべてひっくるめて、彼らは科学者たちの理想を体現する姿になるまでの進化の過程の只中にいるということを意味し、そんなに遠くない未来、ユノたちが従事しているような仕事もその手に渡ってしまうことは確実であった。だが今時点では、彼らは主に船の中で、細々とした精確を求められる職務であるとか、家の雑事であるとか、人体にはあまりに有害な危険を孕む任務であるとかいった、事務用、家庭用、工業用などに製造され、それぞれ職に就いており、ジェジュンが所有しているのは新しい型とは言えない家事や育児専用ロボットだった。当然だ。ジェジュンは彼らに育てられたも同然なのだから。ジェジュンの身の回りのことすべてに気を配るロボットたちは、どんなに磨いたとしても取れない汚れが全身にある程年季の入った人工物であり、また仕える青年にとっての親兄弟であった。
ロボットたちの仕事中、別の部屋、つまり寝室に忍んで行為に及ぶとき、よくジェジュンは堪えきれないというふうに笑った。
「あいつら、病気をすごい心配すんだよ」
 表情筋があるわけではない彼らが、しかし明らかに不安げにしているさまを想像すると、ユノは申し訳ないような、幸福なような、むずがゆい心地が胸のあたりから溢れるようになった。そのままぶくぶくと溺れるようにジェジュンと交わると、いっさいが遠くなり、これがほんとうに望んでいるものだと文字が浮かび上がるがごとく感じた。潤むジェジュンの目。薄い桃色の開いた唇。広げた白い脚。どこまでも続くような狭い穴。隣の部屋にはひそひそと会話を交わす彼を案ずるロボットたち。小さな丸窓が、ふたりの頭上から星を覗かせていた。
もう、二年以上、週に二、三度、ジェジュンと密会するという生活をユノは続けていた。
不倫関係はもちろんこの時代にもまだあった。しかし妻を持ちながら男と浮気をする男というのは、稀であった。
そんな自分にユノは落ち込んだが、ジェジュンは面白がっているような節があった。
「馬鹿だなあ」
 片方だけ、口の端を上げてジェジュンは言った。
「俺なんかにとっつかまって」
 しかしジェジュンはふたりの関係をばらそうとしたり、離婚を迫ったりなどしてはこなかった。射るような、コロナのように渦巻くまなこを向け、貪るごとくユノを見たが、完全に手に入れる気はないというような諦観が常にあった。それがユノを悲しくさせた。
ジェジュンの家の窓から仰ぐ外。果てしなく黒は続く。たいてい、家を訪れれば二回は性交をした。済むと笑いながら泡を撒き散らしてシャワールームで洗い合い、ダイニングへ戻る。料理上手なロボットが床に体を吸着させててきぱきと調理し、椅子に固定されたふたりに夕飯を運ぶ。輸入された水、肉、その他すべての食材を用い、古いレシピをインプットされたロボットが作ったタットリタンを食べながら、仕事やニュースについて話す。疲労を感じつつもしみじみと活力がユノの中に湧く。これから違う家に帰るなどとは、信じられないといつも思った。
時間が来るとそんなユノにジェジュンは無情に帰れと告げた。そしてそれにおとなしくユノは従った。扉を開ける直前、激しく唇を奪われる。口の中、先程自分も食べた食事の味を舌によってまた伝えられ、混乱するユノは目を瞑るが、突然ヘルメットのガラスを下ろされ、放り出される。みずからの唇を舌で舐めるジェジュンが遠のいていくのを、呆気に取られてユノは眺めた。それを何度も何度も何度も、繰り返していた。
チャンミンにこのことを話したことはなかった。誰にも、ひとことも言わなかった。話したくなどなかった。ジェジュンそのものを、誰にも見せたくないというような思いがユノの中に強烈にあった。それは彼がまことに醜い男であるからなどといった理由からではなく、むしろ逆だった。あの目に見られたら、誰もが自分のようになるのではないかと思えた。世間で通っている美しさとは違うものではあるけれども、何かその基準では図りきれない魔力があの双眸にはある。そうした気持ちからも、ユノはジェジュンを自分だけの秘密にしておきたいと欲した。金輪際、他の人間に触らせるつもりはなかった。
ユノはたゆたう死体を前にしながら、目の隅でチャンミンを捉え、その、昔少しだけ会った彼の恋人と、己の恋人を思い出していた。彼らの男たち。その中のひとりが死んだ。おそらく男みずからの手によって。
彼は安楽死を国に申し出たわけではないのは明らかだった。そうした場合、必ず派遣されたそれ専門のスタッフによる処置が行われる。室内の状態からもそのような痕跡は見当たらない上、こんなふうに死後放っておかれるわけはない。禁止されてはいるが、おおっぴらに出回っている、簡単に死に至ることのできる手軽な薬物による自殺の一例をふたりは目の当たりにしていた。
「…チャ」
「この人」
 声が重なり、ユノは口を閉じた。そして待った。少し経ってから、またチャンミンは言葉を発した。
「…俺が初めて付き合った人で」
 すぐ横にいるチャンミンを無遠慮にユノは凝視した。チャンミンはユノのそのようすに気を向けない。ただひたすらに男を見ている。
「……でも俺、振られちゃって……」
 そう呟くと、チャンミンは唇をぐっと結んだ。
少し長い髪の毛が映像の中で見た海という大量の水の中で揺らぐ草に似たさまでなびいていると、ユノは再度目を落とし、昔チャンミンを捨てたというその男に対し思った。鼻の途中が少しぼこりと突き出ている。きっとこれも小鼻の大きさと共に自慢であったろうなどと考える。それに対し、細く幅のある目、肉感的な整った唇、白くきめ細かな肌、長い首や手足には、相当苦しめられたことだろう。
「…業務、続けられるか」
 黒目を動かしながらユノが問うと、チャンミンは一拍置いて、はい、と答えた。
「今日はもう、帰ってもいいんだぞ」
「いえ、やりますよ」
 そしてユノを見た。いつものチャンミンの顔だった。眉頭が上がり、恐ろしい程に大きい黒目がゆらゆらと輝いている。両端の上がった唇は告げた。
「大丈夫です」
 ほんとうは奥歯を噛み締めているのがユノにも知れた。だがもう何も言わなかった。本部にこの事態について報告し、指示を待った。
その船は太陽系共有区域全体を管轄する総合警察が調べることになり、外に出たふたりはその周辺の物もまずは手を触れてはならないというお達しが出され、そこの清掃は一旦中止と相成ったことで、とりあえずこちらにもう到着する援護部隊を待っていた。
 きらりと光るものが彼らの目に映り、チャンミンが「来ました」と囁くように言った。
停泊した船からユノとチャンミンと張る程長身の男ふたりが現れ、こちらに飛ぼうとする体勢を取った。
「ああ、あれならいいや」
 チャンミンがそう言ったのが聞こえたかと思うと、ぶおんと音がし、既に彼らが数メートル先にいた。
「お疲れさまですー」
 それぞれのヘルメットの中にあるふたつの顔は、見知ったものだった。先に口を開いたのはすさまじく低い声の持ち主で、にこにこと笑っている。
「先輩方、遅れましてどうもすみませんでした」
 もうひとりも切れ上がった口角をそれ以上にし、にかっと笑って近寄った。
「えっと、きみは」
「先輩、また忘れたんすか」
 呆れ顔のチャンミンが、ったく、と言いながら口を挟んだ。
「チェ・ミノとパク・チャニョルでしょ」
「あ、そうだそうだ」
「悪いな」
 苦笑しつつ優しく謝るチャンミンと、追ってごめんごめんと微笑むユノに、
「ひどいっすよ先輩ー」
とチャニョルが言い、
「俺らの印象薄いんですかねえ」
とミノが続いた。双方にこやかな表情は変わらない。
「きみらを忘れるとかないけどね」
「ひでー先輩。それ悪口でしょ」
 おおーと言って頭を抱えるジェスチャーをするチャニョルの横で、ミノが鷹揚に
「そうですよねえ、やっぱり」
と大きな垂れ目を更に垂らし、応じた。
「俺らなかなか集まると壮絶だな」
 笑ってはいるが実に心からといった声音でチャンミンが言うと、またはははと笑ってチャニョルが話した。
「そうっすねえ。なんつーんですか、百鬼夜行ってんですかねえ」
「お前ずけずけ言うな」
「すんません」
「でもほんとですよ」
 ぐるぐる中で回転しているような黒目で、やはり大きく笑みを広げた口を見せ、ミノが言う。
「それをお前らはあんま気にしてないみたいだなあ」
 はあー、と大きく息を吐いてチャンミンは感じ入ったように言った。
「気にしてますよー。でもしょーがないですし」
「俺は確かに気にしてませんねえ」
 どちらもが見た目から想像する声よりずっと大人びたそれで、耳に直接入り込んでくるのがやけに快いとユノは思った。きっとチャンミンも同様だろうと考える。
「ミノなんか奥さんいるもんな」
「あ、はい」
「そうなのか?」
 知らなかった事実にユノも口を出す。
「そうなんです。先輩もいますよね」
「ああ、うん」
「先輩の奥さんすげー美人っすよね」
「俺見たことない」
「あ、そうでしたっけ?チェ先輩の奥さんは、痩せてんですよねえ」
「ああ、うん」
「その前に付き合ってた女の人はすごい可愛かったっすけどね」
「そうだったなあ」
「俺も見たことあるよ。しかもものすごいいいとこのお嬢さんだったよな」
 ただでさえ大きな目をもっと大きくしチャンミンは食いついた。
「はい。彼女と結婚するってなってたんですけど」
「まじで?もしかしてお前、それ蹴ったの?」
「はい」
「すげーな。てゆーかなんでお前ひとりでそんないい思いしてんだよ」
「そんなことありませんよ」
「あるっつーの。もっかいんなこと言ったらぶっ飛ばすぞ」
「すんません」
「奥さんのどこ好きなんすか?」
 尖った耳の先がやはりとても綺麗だなとユノはチャニョルを見ながら思い、ミノに視線を移した。
「え、全部だよ」
「え、見た目も?」
「うん」
「まじで?すごい目とかでかいっすよ?俺みたいな感じじゃないすか?なんか」
「お前失礼だろ」
 おいおい、というようにチャンミンが諭すと、ミノがいつものことなんで、と笑った。
「お前の目もいいと思うよ。俺は別に目が小さくて白目が見えないのだけがいいとは思わないよ。俺は奥さんみたいな方が好きなの」
「…へえー」
「それに明るいしね、性格」
「そうなのか?」
 驚いたチャンミンにミノは顔を向ける。
「はい」
「女性にしては珍しいな」
「そうだな」
 ユノとチャンミンが揃ってまじまじとミノを見つめると、はは、と小さな頭を彼は揺らした。
「そこも好きなんです。俺は自分が好きなものが好きですよ」
「へえー、俺はやっぱ暗くてきつい女性がいいっすけどねえ」
「叶わぬ夢だろ」
「あっひでーシム先輩!また馬鹿にして!!」
 けたけた皆で笑った。
そんな会話に混ざっている間、ユノはミノの言葉が反響しながら頭の中にとどまるのを感じていた。
自分が好きなものが好きです。
好きなもの。
俺が、好きなもの。
あの、目。
唇。
肌。
声。
諦め。
家族。
―――ジェジュン。
ああ。
俺はあれが好きだ。そう、あれをこそ。
少しだけ閉じていたまぶたの裏で、星が散ったように思った。
「ところで連絡行ってると思うけど、やっぱ作業なくなったから、本部戻るぞ」
 チャンミンが告げると、ミノがそれを受けた。
「いえ、実はまた他のところへ行けって指示されてまして、これから向かうんです」
「俺らにはここに残って、警察に話してから帰れって言ってたけど」
「はい。でもその指示は結局先輩たちだけにってことになって、俺らはその間ちゃんと別の仕事してろって話なんです」
「それなのにわざわざ来てくれたのか?SCで済んだのに」
「もし何かあったら手伝えたらと思いまして」
「悪かったな」
「いえ、全然」
 目尻に皺をこしらえミノは微笑む。
「じゃあ、こんなとこで時間食うと帰るのますます遅れるから、行けよ」
「すみません」
「先輩方も、警察に疑われたりしないように気を付けてくださいね」
「やましーことなんかなんもねーんだから気を付ける必要ねーよ」
 ぼんとチャンミンが押すと、チャニョルはうわーと言いながらくるくると転がって遠ざかり、自分たちの船へとそのまま泳いで行った。
「お疲れさまっすー」
 頭を下にしたチャニョルが、豊かな響きでヘルメットを通じ挨拶を送った。
「それでは失礼しましたー」
 そう言ってミノもエンジンを入れる。器用にさっとチャニョルを追い越し船へと至った。
 お疲れー、とユノもチャンミンも口にした。声を拾えるぎりぎりの範囲を彼らが越えるタイミングで。
 作業船が消えると、ユノはチャンミンを見、
「どうする?船内で待つか?」
と尋ねた。
 瞬きをすると、チャンミンは返した。
「あー。俺もうちょっとここにいようかと思います」
「…あ、そうか」
 ひとりになりたいのかもしれないと思い、ユノが踵を返そうとすると、声が追って来た。
「先輩」
「ん?」
 体ごと振り返ると、宇宙空間でぽつりと浮かぶチャンミンが、俯いて手指をいじっていた。
「…あれが元彼だって、言わなくてもいいですかね」
 気まずそうであった。プライベートに口出しされたくないという考えの強いチャンミンには、きっとこうした状況はひどく嫌なものなのだろうとこのときやっとユノは思い至った。
「…調べられて、あとからそれを知られると、なんで言わなかったのか、とは言われるかもしれないな」
「……そうっすよねえ……。今、何も関係ないにしても……」
「お前がどうしても嫌だと感じるなら、言わなくてもいいかもしれないけど。この件とはまったく無関係なんだし」
「……いえ、やっぱ言います。揉めたくないんで」
「……そうか」
「はい」
 しばし黙り込んだチャンミンに、もうそろそろひとりにしておいてやるかとまたユノが船に向かおうとすると、先刻と同じように引き止められた。
「先輩」
 距離の空いたふたりは、それでもただ小さく声を出すだけで何もかもが聞こえる。チャンミンはそんなふうに話すことがほとんどなかったが、今彼はぼそぼそと語っていた。
「…あの人がああなったの、あんまり意外じゃないんです」
 チャンミンはやはり下を見つめており、その横顔をユノは目に入れ、少し待ってから言った。
「…安楽死申請してたとかか?」
「…いえ、そこまではしてなかったんですけど。でも、なんと言うか、早く死にたがる人特有の雰囲気がいつもありました。いるじゃないですか、そういう人。ある日、ああ、あの人やっぱり申請したんだってなるような…」
「…そうだな」
「俺ほんとあの人に会うまですごい自暴自棄になってて、かなり救ってもらったんです。でも、俺はこの人を救えないなってずっと思ってもいて、結局、そうだったなあ……」
 チャンミンのその言葉はユノの胸を刺した。そう、チャンミンは自分の境遇を心底から恨んでいる。ユノや、ミノやチャニョルとは違う。生きるのが辛くてたまらず、きっと幾度も死を願いながらこれまでやってきたはずだ。それをユノも感じていた。だから、ユノはチャンミンによく思った。突然いなくならないでくれと。あの知らせを受けたくないと。
「…チャンミン」
「いえ、俺は申請しませんよ」
 ユノを見据えてチャンミンは言った。
「今の彼氏との生活は、楽しいんです。もう、女性と結婚するとかそういうことはどうでもよくなりました。いい仕事に就くとかも。…これでも結構、幸せなんです」
 甘く笑うその顔は、見たことのないそれであり、ユノは口を開けて黙した。
「先輩も、彼氏、大事にした方がいいですよ」
 言われたことの意味が頭に浸透せず、何秒もただ時は流れた。ようやくユノの口から出たのは、
「知ってたのか?」
だった。
 笑ったチャンミンは答えた。
「なんでばれないと思うんすか。俺ら毎日いっしょにいるんですよ」
「え、でも…」
「もう二年くらい付き合ってるでしょ」
「……ずっと…知ってたのか?」
「はい。言ってくれるかなと思ったんすけど、全然話してくれないんで、ああ言う気ないんだなと思って黙ってました。でも、まあ今日みたいなことがあって、言っとこうかなと思って。思ってたこと」
「……なんだよ……」
 項垂れたユノは恥ずかしさから赤面した。
「先輩。先輩はその彼氏の方が好きでしょ」
 ゆっくり、顔を上げた。
そこには笑みなど顔にひとかけらもない、真剣そのもののチャンミンがいた。
「失う前に、ちゃんと掴んどいた方がいいかもしれないっすよ」
 独特な声色を持つチャンミンの言葉が、ユノの脳みそに舞った。
そして浮かぶのは、ただジェジュンの船までの道のりだった。辿り着いた先にいる、彼と、彼のロボットたち。
俺の帰る場所。
「余計なお世話かもしれませんけど、ずっと思ってたことなんで」
「……そうか」
「はい」
 未知の船舶の到来を告げるアラームがふたりのヘルメットの中で鳴った。
「来たな」
「はい」
 あと数秒で警察の船がやって来る。
隣に来たチャンミンに、ユノは
「今日、話し終わったら、さっさと本部に戻るぞ」
と暗闇を見つめたまま早口で告げた。
 チャンミンがユノに顔を向ける。
「俺、早く帰りたいんだ」
闇の中に光が照った。



おわり





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